「楽しい」と「しあわせ」は別物

以前は、楽しいことがたくさんあれば、しあわせだと思っていたけれど、最近、2つはまったく別物だなと思う。

 

「楽しい」ためには、ある程度「外」に何かが必要。

一緒になって笑い合える友達とか、夢中になれる遊びとかスポーツとか、人によっては仕事とか、笑えるテレビとか熱中できるゲームとか。

もちろん、そういうものは、ないよりもあったほうがいい。

 

でも、そういうものは、「しあわせ」の絶対条件じゃない。

本当の「しあわせ」は、何があっても、なくても、心の中に確固たる存在でありつづけるもの。

 

先日、とても楽しい集まりがあって、その場をめいっぱい満喫して、その後もSNSでお互いの投稿にコメントをつけ合ったりして、余韻に浸っていたのだけれど、そのとき、ふと思った。

あ、心をかき乱されている、って。

 

その場を満喫することも、そのあとにSNSで「楽しかったね~」と言い合うことも悪いことじゃない。

でも、なんかそのとき、自分が軸からぶれて、いつもの心の奥底の心地よい静けさから引きずり出されているような感覚になった。

最近、人の反応にあまり振り回されなくなってきていたのだけれど、久しぶりに「いいね!」とかコメントの数とか気になったりして。

そういうときって、「楽しい」ように錯覚しているけれど、実は同時に苦しさも生んでいる。

 

本当に「しあわせ」な状態って、もっと内側に意識があって、自分の軸がぴんっとしている。

だから、ちょっとくらい揺すぶられても、びくともしなくて、ちょっとくらい何か言われても気にならないし、胸の奥か肚の奥に静かな神殿があって、そこで座禅を組んでいるくらい、静かな気持ち。

そういう状態が「しあわせ」ともう知ってしまったから、誰かに評価されて、いっとき「嬉しい♪」と思ったり、今度はこんな切り返しをしよう、なんて考えてワクワクしたりする「楽しさ」は、刹那的なものだと分かってしまった。

 

繰り返すけれど「楽しい」が悪いことじゃない。

「楽しい」ことがたくさんあったら、素晴らしいし、「楽しい」ときは何も考えず、ただ楽しむべきだと思う。

でも、その楽しさを必要以上に追い求めると、「苦」になっちゃうよ、本当の「しあわせ」から遠ざかっちゃうよ、ということ。

 

一番の理想は、楽しいときには十二分に楽しんで、それが終わったら、すぐにすっと心の奥の静寂に戻れること。

その戻しの速さを今年の課題にしたいな、なんて思った。

 

本当の「しあわせ」の感覚が分かると、そこに戻せるようになるから、まずは徹底的に自分に向き合って、こういう静かな、心の奥の「しあわせ」の感覚をつかんでみて欲しい。

 

 

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執筆者:遊部 香(あそべ かおり)

オフィス言の葉代表
ライター・小説家

東京出身・千葉県市川市在住
早稲田大学第一文学部卒

自分自身が多くの本やブログ、メルマガから「しあわせに生き、しあわせに働くヒント」をもらったように、自分もその知識と経験、文章力で、誰かの今日と未来を輝かせるためのお手伝いができたら嬉しいなと思っています。

★小説家としては「九州さが大衆文学賞」「坊っちゃん文学賞(佳作)」などの受賞歴、佐賀新聞連載・小説NON掲載などの実績があります。

★ライターとしては、社会保険労務士の知識を活かし、産経新聞や人事系雑誌に執筆、共著出版などの実績があります。

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