日本橋にある薬祖神社では、毎年10月の平日に「薬祖神祭」という祭りがあり、その祭りが行われた次の週末に「くすりミュージアム」に行くと、「薬祖神祭」で配られた(売られた?)写真のような「薬壺」つきの笹がもらえます。
ということを、3年前に知ってから、毎年「薬祖神祭」の日程を調べ、その次の週末に「くすりミュージアム」に行くというのが、遊部家の行事のようになっています(笑)
ま、うちの子がほとんど風邪をひかず、年に数回しか保育園を病欠することがない、というのが、この「薬壺」のおかげか、遺伝子的な要素なのかは分かりませんが……でも、子供が産まれてから毎年のように行っていると、インフルエンザの予防接種くらい、この行事は大切なもののようにも感じてきます(笑)
というのは、前置きで、この「くすりミュージアム」、なかなか勉強になります。
展示は一フロアだけで、30分もいれば全部見られる程度のものですが、ゲーム形式で学べるものなどもあり、小学生以上(10歳以上かなぁ)の子供がいたら、面白いかな、という内容。
で、好感が持てるのが、
「病気を治すのは薬ではない」
と最初にはっきり言いきっているところです。
あくまで病気を治すのは体の力。
少しくらいのアンバランスなら、体の力で元に戻せるけれど、病気の力があまりに強かったり、体の力が弱まっていたりすると、体の力だけでは病気が直せない。
そんなときに、薬がバランスを整える「助け」になる。
と。
本当、そうなんですよね。
でも、10年くらい前までは(もしかしたら5年くらい前までかも)、薬が病気を治してくれると思っていました。
で、そういう思考だったときって、自分の思考の基礎に「自分では何もできない。自分には大した力はない」という考えがあったように感じます。
そういう思考があるから、自分の体の力も信じられないし、自分の心や思考の力も信じられなかった、というか。
だから、人生の正解は、自分の内側にあるなんて思いもせず、外側、人の意見に正解を求め続ける日々でした。
でも、自分のことをもっと信頼できるようになった今は思います。
人の意見とか、人の力って、「薬」みたいなものだな、と。
どういうことかというと、
「本当は、自分の力だけで、全部どうにかなる。
でも、バランスを欠いて、自分だけではどうにもならないときは、取り入れてみるといい」
そういうものだな、と。
たとえ体がバランスを欠いても、ちょっとくらいなら、自分の体の力で戻せます。
それと同じように、たとえ人生で困難に出会っても、本来は自分の力、自分の選択で乗り切れるのです。
でも、心が弱ってしまって、自分の選択に自信が持てなくなってしまったり、不安という雑念が多すぎて、自分の心の声が聞こえなくなってしまったときは、人に頼るのもありだな、と。
友達のカウンセラー・さわとんが以前、
「本当は、自分の悩みには自分で答えが出せる。
もう一人の自分が答えをきちんと教えてくれるはずだから。
でも『もう一人の自分』が機能しなくなったときにだけ、代わりに助けになるのがカウンセラー。
だから、カウンセラーはできるだけ早く、必要とされなくなるのが理想」
というようなことを言っていました。
好きな言葉です。
人の意見に人生の大きなヒントをもらったり、人の言葉に励まされたり、人の存在に救われたり……そういうのも、人のなかで生きている人間には、素敵な経験です。
でも、「本当はすべてを解決できる力は自分のなかにある」そう思えたとき、本当の人生が始まるようにも思います。
そんな力強さを持てたとき、人生は今までと、まったく違ったものに見えるはずです。
もしまだ、人の意見のなかに「正解」があると信じているなら、もう正解を外に探すのはやめませんか?
自分のなかにこそ答えはあり、自分のなかにこそ、本当の力はありますよ。