少し前、ふと思いついた文章はなぜ人の心に響くのかということをこんなふうに書いた。
これって、「淋しさや孤独を感じるのは、人間関係のせいじゃないよ」という記事で書きたかったこととも通じるな、と改めて思った。
淋しさや孤独を感じるときって、物理的に「人と会う」ということが少なくて起こるんじゃなくて、「ふとした思いつきはどこから来る? 力を抜いて書いた方が人に伝わるわけ」で使った図で言うと、
「ザル」が閉じて「ソース」と隔たってしまっている状態。
その断絶感が「孤独」として感じられる。
私も、物理的な行動を重視して動いていたときにはそんなことに気づかなかったのだけれど、自分の心を大事にして半年経った今は、確信する。
私は、一日すごい集中して小説を書いたり、直したりしているときとか、大好きな木々に囲まれた場所でぼーっとしているときは、ものすごく満たされた気持ちになる。
別に1か月くらい人と会わなくても大丈夫じゃないか、くらい(笑)
それって、自分自身としっかり繋がれたり、自分が好きなものたちとの絆を感じられたら、「人」はいなくても、孤独じゃないってこと。
「孤独」や「淋しさ」とか、「虚しさ」を感じると、人は行動を起こして、どうにか「心の隙間」を埋めようとするけれど、それってちょっと違う。
恋人と別れて淋しいからって、「自分」のないまま街をふらふらしている少女が、悪い男につかまっちゃうようなのと似た危なさがある。
「自分」がしっかりしていないときに、行動を起こしたり、新しい出会いを求めて外に出ていっても、あまり良い結果にはつながらない。
まずは「何をしているとき、自分は心が満たされるのか」を自分でしっかりと把握して、心が弱っているときは、まず、それをやってみるといい。
自然の中でぼーっとするとか、一見生産的なことには見えないけれど、そうすることが一番心を満たせることなのだったら、そういう時間を作ることが大事。
歌うことが心を満たしてくれることなら、歌えばいいし、絵を描くことで満たされるなら、絵を描けばいい。
走ることが心を満たしてくれるなら、走ればいいし、寝転がって漫画を読むことで満たされるなら、そうすればいい。
孤独や淋しさ、虚しさを感じるときって、ただ「心が弱っているとき」だから、まずはそうやって、心を満たし、元気にしてあげる。
そうすれば、自然と「最も効率的な、生産的な行動」が思いつき、それを行える。
そういう順番だと思うな。
まずは、自分自身に流れてきているエネルギーとつながろう。