自分自身とのつながりが強くなり、自分の内側にある力に気づけるようになると、どんどん、「外側」のことが遠く感じられるようになる。
それって、「ひきこもる」とか悪いことじゃなくて、「心に余裕ができる」ということ。
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人に意見を否定されたとき
以前は、人が自分と違う意見を口にしたとき(特に自分が意見を言ったあとに「自分はそうじゃなくて……と思う」とか言われたとき)、
反射的に「でも」と反論したり、実際に反論しないまでも、反論したくなることが多かった。
でも最近は、反射的に反論することはなくなった。
まず、「へぇ、この人はこう考えるんだ」ということを冷静に聞き、
たとえ相手がちょっと攻撃的な感じであっても、
「なんでこの人は、攻撃的な口調なんだろう」と考えられるようにもなってきた。
ま、年の功っていうのもあるのだろうけれど、それとは別に理由があるとしたら、
今の私は自分自身を無条件に認めているから、
なのだと思う。
人の評価によって価値は変わらない
以前は、人に「そうだよね」「その考え方いいね」とか言ってもらわないと不安だったから、人にも同意や共感を求めていた。
でも、
「人にどう思われようが、評価されようがされまいが、自分自身の価値は変わらないよね」
ということが分かってくると、
人からの評価とか、同意とか、共感に以前ほど価値を置かなくなる。
もちろん、共感してもらえたら嬉しいというのはあるし、自分の出した意見を「いいね」と言ってもらえるなら、それに越したことはないのだけれど、
自分の考えや想いを否定されても、自分がその考えや想いを大事だと思ったら、大事にすればいいだけ。
ま、仕事上で出したアイディアが上の人に否定されれば、実現できずに終わっちゃって悲しい、ってこともあるだろうけれど、
でも、そのアイディアはまたどこかで、いつか生きるかもしれないし、そのアイディアが採用されようが、されまいが、あなたの価値に変わりはない。
そのアイディア自体の価値にも変わりはない。
人の評価や反応に振り回されるのは、自分の力を人に渡してしまうこと
だからね、最近思うのは、
人からの評価や反応が気になったり、人からの反論が気に障ったりしたときには、
「あ、自分は今、力を失っているな。自分の力を人にあけわたそうとしてしまっているな」
と自覚するといいんじゃないかな、ということ。
私も、やっぱり一生懸命に書いた文章を否定されたら凹むけれどね、
でもそういうとき、「やっぱり自分はダメだ」と思うんじゃなくて、
「ここで落ち込んでいたら、力をさらに失うことになるぞ」って考える。
ダメだと言われて、「あぁ、ダメなんだ」と思ったら、そこ止まりだけれど、
「いや、でも自分はやっぱりこれに価値があると思う」と信じられれば、
人にもその価値が分かるようにもっと磨こうと思えるし、
結果的に、「外側」の世界も動かす力になると思うんだよね。
『7つの習慣』の「私的成功は必ず公的成功に先立つ」という言葉は有名だけれど、
本当の意味で「成功」するためには、自分の内側を整えること、自分自身の力に自分自身で気づくことが、まずは欠かせない要素なんじゃないかと思う。
そして自分の内にある力に気づいたら、それを簡単に人に渡さないこと。