前回の「他人との比較から抜け出す たったひとつの方法」という記事でも書いたのだけれど、最近、私は以前より、人のことが気にならなくなった。
ゼロにはならないけれど、3分の1くらいには減った。
その理由の一つとして、前の記事では、「自分の持ち場を決めたから(そして、それ以外の場所での勝負を放棄したから)」ということを書いたのだけれど、もう一つ理由がある。
それは……
人の自分に対する評価は、「自分に対する評価」のようであって、
実は「(言った)人の、その人自身に対する評価」であったり、
「自分自身の自分に対する評価」でしかなかったりすると分かってきたから。
人からの評価は、「自分自身の自分に対する評価」でしかない
後者の方が分かりやすいので、後者から説明するけれど……
以前からこのブログにも書いているように、
「人は、自分で自分をどう扱うかによって、人に自分をどう扱って欲しいかを伝えている」
の。
つまり、自分自身を大切にしている人は、人からも大切に扱われ、「どうせ自分なんて」と思ったり、実際自分のことを後回しにしている人は、人からも軽んじられることが多くなる。
だから、人から軽く扱われた場合、
「やっぱり自分はその程度の人間なんだ」
と思ったら、同じことが繰り返されてしまう。
この場合、本当にやらなくてはいけないのは、まず、自分の自分に対する評価を上げてあげること。
自分の欲求をきちんと満たしてあげるとか、自分との約束を守るなどして、自分の自分に対する信用を増していけば、自然と、人からの評価も上がる。
人からの評価は、「(言った)人の、その人自身に対する評価」であることも多い
そしてもう1つ、注意したいのは、評価というのは、評価する側の人間に大きく左右されるということ。
基本的に、自分がしっかり満たされていて、自分で自分の心を良い状態に保っていられる人は、人のことを批判なんてしない。
「もっと、〇〇したほうがいいよ」とアドバイスをすることはあるかもしれないけれど、言われた人が「批判された」「攻撃された」と感じるような物言いはしない。
だから、「批判された」「攻撃された」と感じた時には、それを真正面から受け止めるのではなく、その前に、言った相手はどんな状況・状態でその言葉を口にしたのかを冷静に考えてみることが大事。
たとえば「お前は何も分かっていない」などと言われたとする。
親でも、上司でも、先生でも誰からでもいいけれど。
そのとき、「あぁ、自分は世間知らずなんだ」「自分はダメだ」と思ってしまう人も多いだろうと思う。
でも、そんな言葉を吐く人の内側には、「自分のことをもっと分かってもらいたい」という欠乏感がある。
大きな夢を語ったとき、「そんなの無理」「そんな、夢物語だよ」と言われたときも同じ。
そういう風に、夢を否定する人は、大抵、自分の夢をあきらめた人。
そうやって、向けられた言葉、自分に対してなされた評価を、自分の心の中に入れる前に、ちょっと距離を置いて見つめてみる。
それは本当に正しい「自分に対する評価」なのだろうか? と。
一度、そうやって、自分の中に取り入れる前に「吟味する(ぎんみする)」過程を作ることで、次第に人からの評価が気にならなくなってくるはず。
だって、人のことを真に正しく評価できる人なんて、本当はいないんだから。
自分の評価・価値を決められるのは、本当は自分だけ。
それなら、自分を最大限認めてあげよう。
そうすれば、人からの評価なんて、気にならなくなる。
そして、もっと自分を生きられるようになるからね。