大学時代、社会人になった先輩が部室に来て、こんなことを言っていた。
「社会人になると自由な時間が減るから、大学時代みたいに、なんでもかんでもはできなくなる。
でもその分、自分が本当にやりたいことだけに絞れる。それが時間が少なくなる利点だと思う」
その先輩は、「社会人になると、10,000円が、大学時代の1,000円の感覚になるから」と言いながら、景気よくおごってくれたり、格好いい人だった。
「時間がない!」と追い立てられる理由
最近、私は以前よりもずいぶん時間に追い立てられることが減った。
ま、今でも「あー、お迎えの時間まであと〇時間なのに、きゃー!」ってなっていることもあるけど(笑)、でも、以前より、あまり焦らず、子供と一緒に夜寝ちゃっても、ま、それはそれでいいか、くらい緩く生きられるようになってきた気がする。
それは、ひとつ、口癖を手に入れたから。
どんな口癖かというと、
「所詮、それは枝葉末節に過ぎない!」という言葉。
ま、人には言わず、心の中でだけ言っているんだけど。
でもなんか、ちょっと文学者っぽくていい響き?!
バタバタして、「時間がない!」となっていたときは、何でもかんでもやろうとしていた。
実際にはやらないとしても、「やらなきゃ」という意識があった。
たとえば、
イベントとか開催するのが得意なAさんのSNSを見ては、「やっぱりフリーで活動するなら、イベントの主催くらいできないといけないよね」と思ってみたり、
ブログのアクセス数が月何十万というBさんを見ては、「自分のブログのアクセス数ももっと伸ばさなきゃ」と思ってみたり、
色々な人のSNSに積極的にコメントをつけて回っているCさんを見ては、「そういうつながりを作らないといけないよね」と思ったり。
実際にできるのは一部でも、「やらなきゃ」「やらなきゃ」って気持ちはどんどん膨らんでいって、常に焦りと、「時間がない!」という気持ちでいっぱいだった。
「 やらなきゃいけないこと」は本当に大切なこと?
でも、そういうものから一度全部離れて、自分は本当に何がやりたいんだろう、ということを見つめたとき、自分の心の奥の奥にあったのは、私は、
「とにかく人の心を動かす文章を書いていたい」
ということだった。
小説なり、このブログで書いているような「想い」を込めた文章。
5年前にフリーになり、3年7か月前に子供が生まれ、慣れない子育てと、「フリーで仕事しているんだから、営業して、新規の仕事を取らなきゃ」という想いとで、自分の本当の気持ちに蓋をしていたけれど、外からの情報を(できるだけ)シャットアウトして、自分の心の声を聴いてあげれば、心は自分の本当の「核」を教えてくれる。
私は、せっかく見つけた、というか、再会したその「核」をちゃんと自分の「幹」に据えようと決意した。
そして、それ以外は、「幹」ではない「枝葉末節」であると、しっかり認識することにした。
きっとAさんはイベント開催が、Bさんはブロガーとして影響力を持つことが、Cさんは多くの人と接するのが好きで、大切にしたいことなんだろう。
でも、自分にとって大事なのは、そこじゃない。
そう分かったら、AさんやBさんやCさんみたいに、そのことを頑張らなくたっていい。
そんなふうに自分のことをちゃんと認識したり、自分はこれを大事にして生きると決意したら、人が何をしていてもあまり気にならなくなったし、自分が本当に大事にしたいことを、本当に大事にできるようになった。
だから、もし、他の人がしていることを見て「自分ももっとやらなきゃ!」って思ったり、全然違うたくさんのジャンルのことに手を出して、忙しくなっているなら、こう薦めたい。
まず、自分の幹を見つけること。
それから、それ以外は「枝葉末節」だと位置づけること。
幹以外を全部捨てる必要はないけれど、あくまで一つの細い枝だよ、と。
太い木は、枝の1つや2つ台風などで折られても、全然動じず、そこに立っている。
そんな姿に人は勇気づけられたりする。
幹をしっかり育て、どっしり立っている人には、そんな安定感や安心感がある。