今日は素敵な仕事人として、主にTA(「交流分析」という心理学の理論)を使った研修の講師をしているヒューマンスキル開発センターの刀根健先生をご紹介します。
刀根先生とは、私が前職の会社の社員をしていた8年くらい前に知り合い、私自身も刀根先生からTAの考え方や、TAを活かした人生の歩み方を教えて頂いてきました。
その刀根先生が、昨年2016年9月に肺癌のステージⅣを告知されていたと知ったのが、今年2017年の6月。この時点では、脳にまで癌が転移し、放射線治療のために入院することになったという報告でした。
しかしその後、奇跡的にも思える回復を遂げ、現在は、お仕事は休まれているものの、ほぼ日常生活が送れるほど元気になられています。
インタビューでは3時間半、ほぼノンストップで「講演」してくれちゃうほど(笑)
癌になる前から、人生に対して深い洞察のある素敵な方でしたが、ステージⅣの癌になり、「死に向き合う日々を半年以上過ごした」という経験を経て、さらに視野を広げ、進化されていました。
一応「素敵な仕事人」ブログの記事なので、刀根先生の過去のお仕事についても書きますが、もし癌関係のワードで検索してこられて、そこに興味がある方は、目次を見て、そのあたりから読んでいただいても良いかと思います。
色々な方に学びになるお話ですので、是非、お読みいただけたら。
Contents
大手商社で順調にキャリアを積むも、それをなげうち、独立
刀根先生は、以前は、
「一見『穏やかな良い人』に見えるけれど、奥に何か固い信念みたいなものを持っているのかもしれない」
と思わせるような方でした。
でも、外に見えている大部分は「穏やかな良い人」で、頑固だとか、反逆心が強いとか、そういうイメージはあまりなかったのですが、ご本人曰く「僕はすごく頑固」とのこと。
それは、今までの経歴を聴いてみると、「なるほど、確かに」と、頷けました。
上位0.1%くらいに入るのもすごいですし、営業職なのに産業カウンセラーの資格を獲るというのもすごいですね。
この頃は、大学4年生から始めたボクシングジムにも通われていたそうですし、ものすごくバイタリティーにあふれている感じだったのでしょうね。
(当時、ボクシングジムというのは、プロボクサーを目指す人が通う場所で、スーツ姿で仕事帰りに通っていたのは、そのジムでは刀根先生だけだったそうです。それで「プロテストを受けろ」と何度も言われたけれど、断り続けたとか)
でも、そんなふうにバイタリティがあふれる状態だったからなのかもしれません。良い成績を獲っても、ここは自分の居場所ではないと思い、刀根先生は独立を決めます。
カルチャースクールは1年で……
「ええ? カルチャースクール?」と話を聴いているだけの私も思いましたが、「~べき」の強いお父さまはさらにそう思ったことでしょう。この刀根先生の決断から3年間、口も利かない状態になったと言います。
カルチャースクールでは、アロマテラピーとか、カラーセラピーとか、マクロビオティック、気功、整体などの講座を開いた。まだ日本にはほとんど先生がいなくて、それぞれ日本では数少ない最先端の人たちを呼んできて。
でも、今でこそアロマテラピーとか、カラーセラピーとか、当たり前のものになっているけれど、1997年には本当にまだ誰も知らなかった。先進的すぎたんだね。
当時はビラを撒くとか広告・宣伝の仕方もよく分からず、だから生徒をちゃんと集めることができず、結局、このカルチャースクールは1年で閉じることになった。当時、2人目の子供が生まれたところだったし、食っていけなかったら仕方ないからね。
「食っていくため」の仕事
そしてカルチャースクールを閉じた後は、「食っていくために本当にいろいろなことをやった」そう。
そして、とりあえず落ち着いた先は、
そう言ったあと、刀根先生はインタビューしていた店にあるクーラーを指さして、「これは××型の△△だね」と、私にとっては意味不明なことを言われていました。経験って、すごい。
でも、お店の空調を掃除するのって、店が閉まっている早朝だったり、深夜だったりする。
僕は、営業も実際の作業も両方していたから、朝の5時から翌日の深夜1時くらいまで仕事をする日々だった。それで、急に虚しさが襲ってきて、『なんで生きているんだろう』と思えてきた。
商社をやめるときには、『僕は成長したいんです』と言って辞めた。カルチャースクールを立ち上げたときは、そういう想いだったと思う。でも、食えるように稼がなきゃと思い、色々やっているうちに、気づいたら、本当にお金を稼ぐことが目的になってしまっていた。
これじゃあダメだと思って、その空調会社は一緒に立ち上げた仲間に託して、僕は抜けることにした。
こうやって決断できるかどうかが、満足いく人生を生きられるかどうかの分かれ目なのかもしれませんね。
教育の仕事がしたいという想いで就職。そして社員研修担当に。
改めて自分を成長させる仕事、自分がやりたい仕事って何かを考えた時、刀根先生の頭に浮かんだのは「教育」の仕事だったそうです。
そして、2000年に大手教育系会社に中途採用され、商品企画の担当になります。
そして、2003年に、うちの会社にも『ブランディング』が必要だということになり、僕もブランディング委員会のメンバーになった。
ブランディングは主に広告や広報の仕事に思われるけれど、素晴らしいイメージを広告で流しても、それにつりあったサービスがなければ、ブランドイメージは逆に悪くなる。
だから僕は『作ったブランドイメージにつりあうサービスを提供できる人材を育てる』という意味での、社員教育の担当になった。
それで、どういう教育が必要か色々考え、リサーチした結果、僕が選んだのが、TA(交流分析)だった。そして、その講師を頼んだのが、当時から、その会社のなかで講座を持っていたヒューマンスキル開発センターの多田先生だった(現在、刀根先生はヒューマンスキル開発センターの社員)。
なるほど。元はそんな縁だったのですね。
と、そこまでは順調だった教育会社での仕事ですが、当時離職率が高かった会社で「社員の教育に時間やお金をかけるのはもったいない」と考える会長と、ブランディング戦略を推し進めようとする刀根先生たちとの間には溝もあり、刀根先生は結構、頑張っていたようです。
(具体的な話は、刀根先生が「リトル半沢直樹みたいでしょ?」と言うくらい面白かったのですが、あまり書きすぎるとまずそうなので、ここでは控えめに……。機会があったら、直接刀根先生に聞いてみてください!)
人事部へ異動。動きのなさに苛立ち。
そして、まずまずブランディングのための社員教育が進んできた2005年の3月に刀根先生は人事部に異動になります。
でも、4月になって急に雲行きが怪しくなった。今まで社員教育推進派だった社長から、『しばらく待ってくれ』と言われ、研修がストップされた。そして僕は研修の仕事がないから、目標管理とか評価制度の見直し、評価システムの導入などの仕事をするようになった。
そのままずっと待たされたままで、6月になって、僕はしびれを切らしてきた。
その頃読んだ本にこんなことが書かれていた。
「自分でどうにもできないときには、神様に質問を投げて、任せなさい。神様は答えを返してくれるから」
僕は6月のある日の夜、
「僕は、社員研修をもうやらないということなら、この会社を辞めます。研修を続けるというなら、会社に残ります。それは決めています。だから神様、返事をください」
と言って寝た。
それで翌日会社に行くと朝一番で社長に呼ばれて、
『社員研修の制度は、今年は辞める』
と告げられた。
神様、仕事、早っ!と思った。
確かに。仕事、早い!(笑)
そこで僕は、今年は研修ができなくなりましたということでお詫びをしたのだけれど、それと同時に
『研修をやらないなら、この会社を辞めようと決めていたので、もし人材開発関係の良い会社があったら紹介してください』
と頼んだ。
そうしたら、社長は5秒くらい考えた後、『うちに来る?』と言ってくれた。
その日、僕は半日で、仕事をやめることも、次の就職先も決めてしまった。
初めから決められていた運命だったような、すごい流れですね。
研修の仕事とボクシングのトレーナーの2足のわらじ
その後、やりかけだった評価制度を作り終えると、刀根先生はヒューマンスキル開発センターに転職し、そこからは講師として着々と経験を積み重ねていきます。
前の会社では、社員研修関係の仕事をしていたとは言え、刀根先生自身は、運営のサポートがメインの仕事で、「たまに社員説明会で講師をするくらいだった」ということですが、「刀根さんなら大丈夫」と、最初から講師として現場に派遣されていったとか。
でも、基本、なんでもできてしまう方なのでしょうね。最初の仕事は、労災病院本部でのコーチングの研修だったそうですが、それが好評で、労災病院の各支部から続々と研修オファーが入るほどだったそうです。
そんな人前で話すエネルギーのいる仕事を日中しながら、夜はボクシングのジムでトレーナーとしてプロボクサーの指導をするという生活を刀根先生は10年ほど続けます。
(商社の営業時代にボクシングジムに通っていたと書いたのですが、ジムの会長から頼まれ、トレーナーとして指導をする立場になっていたのです)
トレーナーの立場でも、成果が出ちゃったものだから、それが重い責任になっていってしまった。日本ランキングに入った3人の選手たちも、僕の担当した選手たち。
そうなると、担当している選手が勝つと「嬉しい」というより「ほっとする」ようになった。そして、一瞬、ほっとしても、「じゃあ、次だ」と、次に試合を控えた選手のことを考える。そうすると、常に心は戦闘モードだよね。
僕は完璧主義で、いつも、もっと、もっと、と思っていた。
そして、2016年、自分の心を追いつめ、体に疲労を溜める生活にストップをかけざるを得ない出来事が起こりました。
ステージⅣの肺癌告知です。
いきなりステージⅣの肺癌告知
特に肺に異常を感じていたわけではなく、他の病気の検査で病院に行ったとき、癌は突然見つかったと言います。
それも、ステージⅠ~Ⅳのうち、一番深刻なステージⅣ。
ステージⅣというのは、リンパにも骨にも癌が転移している段階ということです。
刀根先生の癌の元は左肺にありましたが、癌が見つかったときには、右肺のそばのリンパにも、肋骨にも癌がある状態だったそうです。そのため、手術もできず、放射線治療も「全身に当てたら、体を弱らせるだけ」という理由でできませんでした。
抗がん剤治療をすると言われたものの、抗がん剤治療をしても、効果が出るのは40%で、1年生存率は30%とも言われたとか。
それでも、基本的にバイタリティーあふれる方で、しかも「頑固」ですから、この時は「絶対に生き残ってやる」と決意し、抗がん剤治療を断り、自分で治してやると戦闘モードに入ったということでした。
それからのことは、刀根先生のブログに細かく書かれていますが、「やれることは全部した」感じです。
完全玄米菜食、野菜ジュースを毎日1リットル、塩ぬき、糖分をやめる、ノニジュースを飲む、キノコのサプリ、気功、湯気を飲む、漢方を飲む、自強法、陶板浴、八門遁甲、ワークショップに行く(右の写真は「スマイルワークショップ」の寺山心一翁さんと)……
こういうところにも、行動力がある人とない人の差が出るのでしょうね。
ここまで色々やるのだ、と驚きました。でも、自分が実際に末期がんを宣告されたら、どう行動するかは、そのときになってみないと分からないですね……。
やるだけのことをやってたどり着いた「あけわたす」境地
しかし、たくさんの本を読み、情報を集め、いいと聞いたものは片っ端から試していった刀根先生ですが、9か月ほど上記のような生活を続けた刀根先生に、異変が起こります。
視界の一部が黒いもので覆われたように見えなくなったのです。
そして検査の結果、癌が脳に転移していることが分かります。
脳の腫瘍はかなり大きくなっていました。そして医師は「急に手や足が動かなくなったり、呼吸が止まることも可能性としてはあります」と言い、入院を薦めました。
さすがにこのときは、刀根先生も入院すること、その病院の治療方針に従うことを決めたそうです。
「僕はやるだけのことはやった。これ以上できないというくらいやった。でもそれは、全部、無駄だった」
そんな絶望的な状況です。
でも、この「行動ではもう何も変えられない」という明け渡しこそ、刀根先生に必要なものだったのだと言います。
今なら分かる。運命を切り開く鍵は、自分の思考も行動も捨てて、身をゆだねることだって。
「もうできることは何もない」と明け渡しの境地に達したとき、刀根先生の心は今までよりずっと穏やかになったそうです。
そして、流れに身をゆだねると、必要なことが、まるですべて初めから計画されていたかのように、次々に起こってきたとか。
入院を告げられた翌日には、以前心理学の講座で一緒になった人と会うことになり(その方はスピリチュアルな感度が高い方だとか)、
「これは、刀根くんがあらかじめ決めてきた、魂の計画だから」
というメッセージを受け取ります。
そして、そのメッセージが腑に落ちた刀根先生は、今までの「どうして(癌になったのが)僕なんだ」という視点から、「すべては自分が決めて、起こしたことなのだ」と考えを改め、「だったら自分で超えられるはずだ」と確信が芽生えたそうです。
感情を吐き出す。そして『治る』という確信へ
また、東洋医学には、感情と臓器には密接なつながりがあるという考え方があります。
肺と呼応するのは「悲しみ」という感情です。
『言葉で癌を消す』の梯谷幸司さんのメソッドを学んだ癌仲間に、刀根先生は、「悲しみの原因を取り除くこと」を課題として出されます。
具体的には、
「本当は愛されたかった父親に愛されなかった悲しみ」
を解消すること。
そのために、父親に「本当は愛されたかったのだ」と伝えることが必要だと言われたのです。
その課題を出されたときには、「絶対にやりたくない」と思った刀根先生ですが、脳にまで癌が転移し、入院しなくてはいけないとなったとき、ついにお父さんと会い、それを伝えることになります。
お父さんは反論せず、1時間近く、刀根先生の気持ちをただ聞いてくれ、「認めていなかったわけじゃないんだ」という言葉を最後にくれたそうです。
そうやって、感情を吐き出し、そして「認められていない、今のままじゃダメだ」と自分に鞭打つ手を止め、ありのままの今の自分をも認められるようになったとき、心には平安が広がり、「治る」という確信をさらに強めたそうです。
だから入院した日に看護婦さんにアンケートを渡されたのだけれど
『今回の入院に対して不安はどれくらいありますか? 1(全然ない)~7(強い不安)で回答してください』
『今の病気についてどれくらい不安がありますか? 1~7で回答してください』
という2つの質問に、両方とも「1」と答えた。
それで、看護婦さんに「1」を付けた人は初めてですと、驚かれた。
確かにそうだよね。客観的に見たら、癌が全身に転移して、脳にまで大きな腫瘍ができて、視界も悪くなるし、喉のリンパが膨れて、声もかすれたようになっているし、首のあたりにはごつごつした塊がたくさん出てきているし、骨の転移のせいで、足が痛くて思うように歩けないし……。実際にCTでは、癌で色々な臓器が真っ白に映っている。
そんな状況なんだけれど、自分の心は『治る』と確信しているんだ。
すごい!
こういう話、「は?!」って思う人も多いと思うのですが、私は結構、分かるタイプです。
根拠は何にもないのだけれど、「あ、これ当たるな」と思ったら、当たる、みたいな経験を私も何度かしたことがあります。ま、刀根先生の話とは違って、小さなことですが……。
そして引き寄せたものは……
『治る』と確信し、病院のベッドでは、鳥のさえずりや海の音などの心地よい音楽を流し、「いい気分でいる」ことに集中していた刀根先生に何が起きたかというと……
のです。
その薬を使えるかは、ALK遺伝子を持っているかで判断されるそうなのですが、最初の病院では、ALKの検査をすると言いながら、実は行われておらず、改めて入院した病院で検査したところ、その適合が認められたとか。
その結果を聞いたとき、『よっしゃ!』とまず思ったけれど、それと同時に『やっぱり、来たな』と思った。
引き寄せの本にも、「望む結果をイメージして、いい気分で過ごしていれば、それは叶う」とよく書いてあります。「過程は神様が考えることだから、それは任せればいい」と。
刀根先生のこの話は、まさに「引き寄せの法則」の良い事例だと思います。
そしてその薬を引き寄せた刀根先生の癌は、肺の一部を除いて、現在はほぼ消滅しています。
でも、「たまたま薬が合っただけでしょう?」と思う人もいるでしょう。外から見たら、客観的な事実はそれだけですからね。
本当、信じるかどうかは、その人次第で、信じたければ信じればいいし、信じたくなければ信じなければいいんじゃないかな、と私はニュートラルな立場で思います。
でも、「引き寄せ」を信じる人には、刀根先生の話には教訓がびっしりです!
刀根先生は「引き寄せる」ために大事な5つのステップについても教えてくださいました。
「引き寄せ」のために大事なのは5つのこと
刀根先生が実体験から感じた、大事なことは次の5つだそうです。
- あけわたす
そうすると、エゴがブロックしていた部分が流れ始める。 - 意味づけをする
「なんで自分が」でなく、自分が選んだことと受け入れる。
そうすると主体的になれる。 - 感情を浄化する
悲しみなどを吐き出す。 - 自分を愛する
- 意図を持つ
まずエゴを捨て、あけわたさないと、なにも始まらない。
頭で考えて、それで必要だと思った行動ばかりしていると、ひらめきが来ないし、うまく流れていかないというのは、分かる気がします。
でも、本当に「やって、やって、やって、やり切ったけれど、ダメだった」という経験がないと、人はなかなかエゴのコントロールを手放せないものでもありますよね。
「流れに乗っているなぁ」と感じられる人が少ないのは、そのせいなのでしょう。
そして「4」の自分を愛するというのも、言葉で言うのは簡単ですが、実際に体感するのは難しいものだと思います。
刀根先生は、入院中よく聞いていたという音楽を教えてくれました。
KOKIAの「愛はこだまする」という曲で、「I LOVE YOU」のメッセージがあふれています。
こういう曲を聴いて、心の中を浄化し、自分自身を抱きしめてあげることも大切ですね。
「5」の「意図を持つ」というのは、何を引き寄せたいのか明確にするということです。
刀根先生の場合は「治る」ということ。でも、どうやって治すかはすべて任せる。ただ意図を持つだけでいい、と。
前に私もブログで、引き寄せの本について書きましたが、一般的に「引き寄せ」というと、この「意図を持つ」の部分だけが強調され、一人歩きしてしまっている気がするのですが、大事なのは、本当、「流れに乗る」とか、「抵抗を捨てる」という部分なんですよね。
私はまだその部分でややつまづいていますが……、そこをクリアして、実際に最善の薬を引き寄せ、実際にほぼ癌を消滅させた刀根先生はこう言われていました。
そして、引き寄せられるようになったら、それを継続させるために、
ことが大事だと。
覚えておきます!
これからは……
そんなふうに元気になった刀根先生は、仕事はまだ休職しているものの、今は精力的にブログを書き、自身の経験を伝える活動をされています。
でも、正式に仕事に復帰したら、TAを伝えると同時に、自分自身が経験したことも「味つけ」として加えて、人に伝えていきたいと話されていました。
今回の経験を経て、僕は以前とは全然違う次元を経験した。その僕が以前と同じテーマで研修をしたらどうなるか、それが自分でも楽しみなんだ。
私も、新生 刀根先生のTA講座、また受講してみたいです!
今は、ご自身の体験を精力的にブログに綴られていますので、是非、それもご覧ください。
今回の記事では全体をさらりと書きましたが、1つ1つの気づきについて深く書かれていて、非常に興味深いです。
「Being Sea」は、「存在の海」を意味する刀根先生の造語で、一人ひとりは波がしらに過ぎず、世界は大きな海なのだという想いが込められたタイトルだそうです。それも素敵ですね! 刀根先生、3時間半の個人レッスンみたいな貴重な時間をありがとうございました! ◆是非、他の素敵な仕事人インタビューもお読みください!
→ 素敵な仕事人の定義と一覧
商社では営業をしていたけれど、200人の営業のなかから毎年4人しか選ばれない「S」クラスに選ばれるなど、結果も出し、評価もされていた。
営業には心理学も必要だと思い、この頃、産業カウンセラーの資格も獲った。まだできて2年目か何かで、非常に獲りやすい資格ではあったのだけど。