昨日「モニタリング」で、メンタリストDaiGoさんが、相手が選んだカードを当てる挑戦をしていて、面白かった。
将棋の名人・加藤一二三さんは、2連敗したのだけれど、俳優の小泉孝太郎さんは、2戦目で1勝した。
DaiGoさんの、
「こうやって舌を出すのは、嘘をついたとき」とか
「負けず嫌いの人はここにカードを置きやすい」とか、
そういう分析もさすがだったのだけれど、
その前に、小泉孝太郎さんは、
「DaiGoさんは裏を読んでくるだろうから、僕は素直にいきます」
と宣言。
実際2戦目のときには、秋の食べ物を本当に自分が好きな食べ物の順番に並べた。
でも、普通の人は、自分が本当に好きな順番でなく、
あくまで勝負として順位を考えて、カードを置くから、
DaiGoさんはそこに惑わされ、2戦目は敗北したみたい。
それが、すごく面白いな、と思った。
今は、大部分の人が、感覚とか想いでなく、頭で考えて行動してる。
そういう世界では、たくさんの知識や経験がある人が、強い。
たくさん本を読んだり、必死に受験勉強をして成果を出した人が評価されるのは、
そういう世界だから。
でも、みんながもっと心で生き始めたら、どうなんだろう。
心理学者ユングの説に「集合的無意識」という考え方がある。
一人ひとりに顕在意識があり、その下に無意識があるというのは、誰でも認めている知識だと思うけれど、無意識をもっと深く掘り進めていくと、人間全員、同じ根っこでつながっている、と。
だから、田園風景を見ると、田舎で育った人でなくても「懐かしい」と感じたりするし、「あ、この人に連絡しようかな」と思ったときに、相手から連絡が来るようなシンクロニシティが起こったりする。
自分の心に従って動いている人の行動は、知識や理論で勝負している人には、「読めない」「意味不明」な行動に見えるだろう。
でも、知識や分析は外に置いておいて、自分も心の声を聴いて生き始めたとき、きっと「あぁ、分かる」となるはず。
そして、そういう方向にもっと世界が進んでいったら、言語がなくても、かなりの部分まで、人は人とコミュニケーションできるんじゃないだろうか、と思ったりする。
前の「自分が進むべき方向は、自分の心が一番知っている:文章の「職人」として生きる決意表明」でも書いたけれど、人は言葉によってコミュニケーションしているように見えて、実は、その言葉に載せた想いでやりとりしているにすぎないと思うから。
私は、知識で人の考えを読もうとか、スキルで人を思いのままに動かそうとか、そういう思想は嫌いだけれど、でも昨日のDaiGoさんの潔い負け方は、なんか良かったな。
ま、まだまだ言葉なしに人と人がコミュニケーションできる世界は先の話だろうから、今は適度な知識やコミュニケーションのスキルも必要なのだと思うし。
でも、今日思ったのは、自分の内側をしっかり見つめる先にある可能性。
自分の潜在意識のさらに奥に、心地よく人とつながれる可能性がある。