自分がしあわせを感じるときって、どんなときなのだろう?
と、改めて考えてみた。
最近は、そんなふうに、自分の心と対話している時間が多い。
8月頃からあえて、そうしている。
予定は積極的に入れず、時間の余白を作っている。
外からの刺激を減らして、
人と会っているときも、「今、自分はどう感じているのか」と、
できるだけ自分の心を観察してみてきた。
そうすると、結構おもしろくて、
自分が今まで好きだと思っていたこととか、信じていたことが、
案外、そうでなかったと気づけたりする。
人の期待に応えようと頑張ってきた人とか、
人の目が気になる人ほど、
自分に目を向けることが少ないから、
自分に対する認識が間違ってしまうんだと思う。
でも、だからこそ、意図的に、
意識を外でなく、内に向けてみるって、
おもしろい。
「自分は今、どう感じている?」って
常に自分に問いかけていると、
「相手は今、自分をどう見ている?」という疑問を
差しはさむ余地がなくなってくる。
自分の「今は心地いい」という感覚を大切にすると、
本当に自分に合うものが分かってくる。
そして、少しずつ、自分の本当の核を取り戻していき、
「自分」が自分の中でクリアになる。
それって、大事。
魅力的で、人を引きつける人って、
自分で自分の好きとか、自分の核をしっかり分かっていて、
その核の自分を生きている人だと思うし、
人にいい影響を及ぼせるのも、
そういう核がしっかりしている人だと思うから。
そうやって、自分の感覚を大切にして過ごしてきて、
いろいろ分かってきたことがあるけれど、
自分がしあわせを感じるときって、
- 緑のなかにいるとき(特に大きな木がある公園が好き)
- きれいな花の写真を撮っているとき
- フロー状態で文章を書いているとき
- ごきげんな息子と遊んでいるとき(ふきげんな息子は却下(笑))
- 自分の文章や写真をいいと言ってもらったとき
なのかなぁ、って思ってきた。
で、1~3の状態って、一人で勝手に作れるものだなぁ、と。
たとえば賞とか、大きなお金とか、人からの承認とか、
そういうものを「しあわせ」の基準にしちゃうと、
なかなかしあわせになれないけれど、
しあわせって、もっと簡単に作れるものだよね。
特に私の「1」とか、
本当に好きなのは、立川の昭和記念公園くらい大きな公園だけど、
マンションのすぐ隣にも小さな公園があって、
イチョウと桜の木が生えていて、藤棚もあって、
その藤棚の下で、10分くらい、ぼーっと空を見上げると、
なんかそれでも、しあわせかも、なんて思った。
しあわせな人とは、小さなことでしあわせを感じられる人。
さらに言えば、その小さなことを、自分で作れる人。
今日は、こんな文章の書き方が心地よかったので、
そうしてみた。
次回はまた変わるかも(笑)
写真に入れる文字を、手書きにできたら、
もっといいなぁ~。
いずれ、検討っ!