今日は素敵な仕事人として、草刈正年さんをご紹介したいと思います。
草刈さんは、以前の記事のなかに「まさくん」として登場したように、さわとんが(多分)心の友と思っている人で、個性筆インストラクター・佐藤由美さんの師匠であり、田島さん・夏目さん・山本聡子さんなどをつなげた市川市の「つくるんだ村」を作った人でもあります。
もともと千葉県市川市で活動されていたのですが、2012年に京都の限界集落(綾部市志賀郷町)に引っ越し、今は綾部を拠点に、米作りをしたり、家づくり、醤油づくりをしたり……本当に幅広く活動されています。
私も以前から草刈さんの名前は、色々な人から聴いていたので、いつか会いたい!と思っていましたが、ようやく実際に会うことができました!
路上詩人として1万人以上の人に即興書道の言葉を届け、1000人ほどの人に教室で個性筆を教え、インストラクターを養成し、さらに個性筆文字協会まで立ち上げながら、「なにかもやもやする。これは自分がやりたいことじゃない」と2年ほどで協会を自ら解体してしまったり、スケール大きく、心の赴くままに動いている、とても面白い人です。
前の記事でも、「会うと、今まで常識だと思っていたことが常識じゃなくなっちゃうような、なんか枠を飛び越えちゃった人に会っていきたい」と書きましたが、草刈さんはまさにそんな人。
是非、あなたの思い込みの枠を外すためにも、インタビュー、お読み頂けたら!
Contents
子供の頃から「夢は?」と聞かれるのが嫌だった
草刈さんは千葉県出身ですが、幼稚園の年長の頃から小学校3年生まで仙台に住んでいました。
その頃から、仲の良い友達と秘密基地で一晩過ごす計画を立てるほど冒険好きで、行動力のある少年だったそうです。
ただ、小学校4年生で千葉に戻ってくると、周りは中学受験などに力を入れている時期。お母さんがそれに焦りを感じ、
今の、自由奔放な草刈さんからは想像できないような話です。
でも、本当の草刈さんの姿は“冒険好きな少年”ですから、そのギャップが積み重なってはいたのでしょう。草刈さんは、大学を卒業して就職して2年もしないうちに、パニック症になります。
いや、僕は基本、器用だから、200人いる同期の中で1番初めにリーダーになるくらい、活躍はしていた。
でも、頑張ればできちゃうから、頑張りすぎて、体がついていかなくなってしまった感じ。お客さんからのパワハラもあったし。
だから、がんばればできるのだけれど、体を守らなきゃ、と思って、休職したあと、結局、入社3年目で退職することになった。
本来の気質が「自由で冒険好き」なのもあって、自分を抑えた生活とのギャップに体が悲鳴を上げたのでしょうね。
一番無理そうな夢として「世界一周旅行」と書いた
結局3年で会社を辞めてしまった草刈さん。
辞めた時点ではパニック症も治っていず、電車にも乗れないような状態でした。
そんななか、未来に不安を覚えながら、藁にもすがるような気持ちで読んだのが、友達が薦めてくれた本だったそう。
そ……それは、筋金入りの「本がいらないタイプの人間」ですね。
でも、友達が薦めてくれたのが、『一冊の手帳で夢は必ずかなう』という本で、その本を開くと、「夢をたくさん書き出しなさい」というワークが書いてありました。
書いていくと、意外とやりたいことってあるんだなと気づけた。
で、一番不可能そうなことも書こうと思って『世界一周』とも書いた。
それで、色々な夢を書き出したあと、次のページをめくったら、
『今、書いた夢を全部叶えなさい』
と書かれていた。
え~(笑)
叶えなさいって言われたって……って感じですよね。
でも、追い詰められていた草刈さんは、こう思ったそうです。
先にも書いたように、当時の草刈さんはパニック症で、数駅分電車に乗ることもできない状況なのに、です。
開いてみると、色々なパターンで世界一周した人の例が書かれている。なかには、100万円で世界一周した人もいるらしい、と。
その本を読んでいたら、僕も行けるんじゃないかと、なんか思えてきた。
さすが草刈さん!
それで、その頃から、医者に『やるな』と言われていたことを全部やってやろうと、行動し始めた。
走ったり、ヨガをしたり、映画を見に行ったり、ライブハウスに行ったり、満員電車に乗ったり。
映画は2本目までは途中で出てしまった。でも、3本目の映画はしっかり最後まで見られた。そうやって1回できてしまえば、もう『大丈夫』って思えるようになった。
ライブハウスだけは、最後までダメだったけれど、満員電車も、主要な駅まで当時は4駅だったのだけれど、そこまで初めて途中下車せずに行かれたとき、もう大丈夫って思った。
なんか、素敵な話です。
パニック症の治療と関係なく、どんな挑戦も、「何度か失敗しても、1回できれば、『もう大丈夫』と思える」そんなものなのかもな、などと思いました。
そして、最後に飛行機に乗る練習として、バックパッカーをしていた友達と香港に行ったそう。
途中何度か、もうまずいかも、と思うときもあったんだけれど、友達が支えてくれて。
香港の空港に着いたとき、ロレックスの広告の前で友達と抱き合った。そのときのシーンが、今も忘れられない。
そのあと、一度もパニック症の症状は出ていないそうです。
強い決意は、病気も治すのですね。
価値観の転換こそ幸せという気づき
世界一周では、本当にたくさんの人に出会ったそう。
とか、世界一周の話だけでも、とても聞きごたえがありそうでした。
『日本人がそんなことをしてもいいの?』『そんな年齢で、そんなことをしてもいいの?』とか、今までの価値観をひっくり返されるような人にたくさん出会った。
それで、思った。しあわせって価値観の転換だなって。
なんだかとても分かるような気がします。
ちょうど私も先日ブログに、素敵な仕事人インタビューをしていきたい人は、「会うと、今まで常識だと思っていたことが常識じゃなくなっちゃうような、なんか枠を飛び越えちゃった人」と書いたのですが、そういう人と出会うと、自分の世界が広がって、「自由」を感じられるようになるんですよね。
「あぁ、私はもっと自由に生きられる」という可能性と出会えるというか。
そういうの、私も、しあわせだなと思うのです。
(私も、今から世界一周に出るか!(笑))
夢がないからいい
様々な価値観に触れて日本に帰ってきた草刈さんは、「日本にも面白い人がいるんじゃないか」と思い、色々なセミナーに行き始めたそうです。とりあえず派遣の仕事をしながら。
そんなふうに、様々なセミナーに行くなかで、出会ったのが中村文則さんの
「夢がないからいい」
という言葉だったそうです。
昔から将来の夢を聞かれるのが嫌で、「世界一周」という夢を達成して、また夢をなくしていた草刈さんに、その言葉はとても響いたそう。
どういうことだろう? と思った。
そうしたら、こういうことだった。
『夢がない人は、夢を持った人を応援できるからいい』
なるほど、と思った。
そうしたらそのセミナー会場で、一人の女性に声を掛けられた。すごい目をキラキラさせた人で、
『今度、てんつくマンさんのイベントを主催することになりました。
でも、イベントの主催などしたことがないので、どうしたらいいか分かりません。
スタッフとして、手伝ってくれませんか?』
夢を持った人を応援しようと思ったばかりだったし、その人があまりに目をキラキラさせていたから、「手伝います」と言っていた。
それが、高島(小松)紗矢香さん。
おぉ……、紗矢香さん! この頃から……すごいなぁ。
きっかけ屋 路上詩人まさ
そんな流れで、のちに草刈さんが師事することになる てんつくマンさんと出会い、のちに奥さんになる女性とも出会ったとのこと(草刈さんの奥さんは、紗矢香さんの専門学校時代の教え子というつながり!)。
草刈さんは、てんつくマンさんが当時開いていた塾に入り、路上詩人になり、1万人近い人に即興書道を届け、さらには個性筆というオリジナルの筆文字教室を立ち上げるまでになった方ですが、当時は、
と思い、てんつくマンさんの塾にもまったく興味がなかったとのこと。
でも、のちに奥さんとなる女性が強く入塾を薦め、さらに第2期が始まる前のちょうどいいタイミングで、「正年」と彫られたハンコが送られてきて、
という感じで、最初は始めたそう。
私は40人近い人に素敵な仕事人インタビューをしてきましたが、自分の意志で道を切り拓いてきたように思える人が、実は、「いい感じに流されて」今に至っているという話も多いんですよね。
これは結構、インタビューをしてきて、面白いなと思う発見です。
そんなふうに背中を(かなり強烈に)押され、入った路上詩人の道ですが、塾の授業の一つとして、みんなで新宿の路上に座って、字を書くというものがあったそうです。
そんな、『まだ全然できるようになってませんけど』という状態で、路上に出された(笑)
で、新宿の路上に座っていたら、『あ、君』って感じに声を掛けられた。見たら、他のセミナーで一緒になった人だった。
『書いてくれるの? 面白そうだから、頼むよ』ってなって、初めて書いたのが、その人にだった。
それで、なんとなく思いついたことを書いて渡すと、相手はじっくりそれを読んでくれて、
『この言葉を言われたのは、君で3人目だ。
きっかけをもらった』
と言ってくれた。
それからも、自分が書く言葉が「きっかけになった」と言ってくれる人がたくさんいて、当時は『きっかけ屋 路上詩人まさ』って名乗っていたなぁ。
そして、少しずつ、草刈さんは、その活動にやりがいを感じ始めたそうです。
でも、3人だけ『まさなら大丈夫!』と、「?」じゃなくて「!」で言ってくれた人がいた。
その言葉に、僕は救われた。
だから僕も、人に『大丈夫』を伝えていける人になりたいって思った。
素敵!
教室を開いたのも、強く背中を押されたから
路上で言葉を人に届けるのは楽しくて、1万人くらいの人に書いたという草刈さんですが、当時はそこで満足していて、その先に広げることはまったく考えていなかったそう。
当時は、教えるのには免許がいると思っていて、『免許も持ってないし』とか言っていた。
友達は自分でセミナーなどを開いている人だったから、『俺も、免許なんて持ってないよ』と。
で、あまりに僕が、「教えられない」というものだから、「教えないなんて、ケチか」と言われて、「いや、お前にここでなら、教えてやる」って、そこから1時間半くらい、マンツーマンで筆文字の指導をした。
そうしたら、確かに友達の字が劇的に変わって、友達もそれに興奮して、「絶対、教室を開こう」となった。
「お金をもらってできない、というなら、とりあえず無料でやったらどうか」と言われ、友達ばかり10人くらい集めて、無料で教室を開いた。アンケートで「いくらならいいと思いますか?」と聞いたら「3000円」と「5000円」が半分ずつだった。
当時は、「これで3000円とかもらっちゃて、いいんだ」という感じだったし、5000円なんて恐れ多いと思って、「じゃあ、次回から3,000円で開催しよう」と。
最初はそんなものだった。
それがどんどん広がり、個性筆教室に来た人はのべ1000人以上というから、人生分からないものですね。
ある程度固まったあとは、自分で取り入れるか、取り入れないか決めていいと思うけれど、最初のうちは、人から勧められることは、1度はかじってみてもいいのかもしれないな、と思う。
やってみて合わないことは1度で大体分かるし、何が先につながるか分からないから。
本当、そうですね。
個性筆教室で大切にしていたのは、個性
そんな流れで開くことになった個性筆教室ですが、草刈さんはこんなふうに言っていました。
僕は、自分のなかにはない人の意見を聴くのが好き。
筆文字というツールを使って、急に人が自分らしさを表現し始める、その瞬間を見るのが好き。
そのあと文字がどう変わったということには、正直、あまり興味はない。
なるほど……。
確かに、筆文字はアートでもありますが、「言葉」を書くものですから、一人一人の考え方や意見が出ますものね。
「つくるを取り戻す」活動
筆文字の活動と並行して、草刈さんは「つくるを取り戻す」活動もされています。
一番最初に書いた千葉県市川市にある「つくるんだ村」という畑活動が、一番わかりやすい例ですが、「つくるを取り戻す」ということを最初に意識したのは、実はもっと前だったとのこと。
会社員だったころ、仕事というのは、仕事をくれる人にぶら下がることだと思っていた。
でも、自分で路上に出て、書いた文字をお金にしたとき、仕事はつくれると思った。
自営業になって、会社員の頃よりも、経済的には不安定になった。でも、安心感は増した。
それは、いざとなったら自分で「作れる」という安心。
素晴らしい!
私も、自分で仕事とお金を作れるという自信を持ちたいぞ……。
3.11のあと、近くの大きなスーパーから野菜がことごとく消えたとき、不安を感じた。
それで、自分で野菜を作れるようになりたいと思った。
名刺に「畑を作りたい」と書いていたら、借りられそうな土地があるという情報を教えてくれ、100万円出資してくれた人がいた。あと、畑仕事のしかたを教えてくれる先生も見つかった。
もう、つくるんだ村では、のべ1000人くらいの人が、農業体験をしているんじゃないかな。
そうやって野菜が作れるようになったら、今度はお米も作れるようになりたいと思って、綾部に越すことにした。
ということで、草刈さんは今は京都府の限界集落・綾部市の志賀郷町に住んでいるのです。
そして、大工さんと家を作って「棟梁1人と10人の人手がそろえられれば、家を建てられる」という「つくる」(自信)を取り戻したり、今は醤油を作る活動もされているそう。
やっぱりみんな、自分で作りたいと思っているんだと思う。
たとえば醤油を自分で作ると、麦をすりつぶすといい香りがするなぁ、とか、途中で液がぼこぼことなってきて、醤油ができてきているなぁとか、過程のしあわせがあるでしょう。そして、作ったという達成感もある。
手間を省いて、効率化する方向に進んできたのが、戦後の日本だったけれど、効率化が進んだ結果、過程のしあわせが薄れてしまったと思う。
確かにそうですね。
そして、手間を省いた結果「達成感」も薄れてしまうのですね。
僕も、田んぼは好きだからしているけれど、畑は今はやめている。
でも、何が自分をしあわせにしてくれるのかを知って、それを死守することは大切。
自分をしあわせにしてくれることを死守する……。素敵な言葉ですね!
個性筆文字協会設立と解散。そして……
で、また個性筆の話に戻りますが、草刈さんは2012年に綾部に移住し、様々な活動をしながら、2014年に個性筆文字協会を設立します。
これも実は、草刈さんの考案ではなく、周りからの要望を拾ってのことだったそうです。
(まとめてみると、個性筆周りのことは、全部、周りの人の働きかけで動いていたということですね。畑とか醤油とか、家は自分主導で作っているのに(笑))
僕は、『自由にやっていいよ。でもやるなら、ちゃんと自分の色を出して、僕とは違う形でやってね』というスタンスで、ずっと答えていた。
別に著作権とか何か権利を主張するつもりもないし、やりたければ、勝手にやって、という感じだった。
でも、『資格があったほうがやりやすい』という人も多かった。正直、資格なんてなくたっていいでしょう、と思ったけれど、ふと『免許がないと教室を開けない』と言っていたのは誰だっけ、と思って。
ははは(笑)
そして、インストラクターを70人ほど養成し、インストラクター資格を希望する人はあとを絶たず、収入はうなぎのぼりだったそうです。
僕は、前から言っていたように、個性筆は勝手にアレンジして、一人一人の個性を出した筆にして、教室も一人一人ものにしてほしいと強く思っていたのだけれど、やっぱり、『個性筆』と名前がついている限り、それは僕が作ったもの、という事実がついてきてしまった。
それで、「まささん、どうしたらいいですか?」とか「今度〇〇さんとコラボしたいと思うのですけれど、いいですか?」とか、僕に伺いを立てるメールがたくさん届くようになって、僕はその対応に追われるようになった。
僕は、みんなにそれぞれの『個性』を発揮してもらいたいと思っていたのに、結局、協会はピラミッド型で、一番上に僕がいるという形はどうにも変えられないと感じた。
僕は、みんなに『独立を目指せ』『早く個性筆を卒業しろ』と言っていたけれど、協会の認定するインストラクターはどんどん増えていく。そして、僕に伺いを立てるメールも増えていく。それに、とても虚しい気持ちがした。
売り上げが上がれば上がるほど、僕のなかのもやもやは大きくなって、結局2年で協会はクローズした。協会は一度立ち上げたらやめないものだって、色々なところから、非難はされたし、僕も、悪いとは思ったけどね。
でも、自分の気持ちに嘘はつけなかった。
協会をしめることで、経済的にも厳しくなるのは分かっていたけれど、もうお金では動けない人間になっている(笑)
すごい!
「まっとう」に生きている大人たちは、きっとこういう生き方をする人を、未熟だとか、大人になり切れていないとか、非難するのだろうけれど、でも本音では、みんな羨ましいから、非難するんだろうなぁ。
こんなふうに自分の心のままに選択できたら、人生はずっとシンプルになるはずだし、浮き沈みとか、経済的なしんどさはあっても、絶対楽しいはずですもの。
(と分かりながら、まだまだ常識の範囲内に収まっている私ですが……)
△じゃなくて、これからは〇
でも、協会をやめはしたけれど、その先になにか当てがあったわけではなかったという草刈さん(そこもすごい!)。
△というのは、誰か頂点がいる「ピラミッド型」のこと。そうではなくて、「みんなで一緒に創る」ことがしたいと、草刈さんは切実に思ったということでした。
そして始めたのが、今年春から半年間開催された「共創ライブ」。
半年間のグループ講座・個人セッションなどを経て、最後に全員で舞台を作り上げるという「自分表現」を探り、それを発表する連続講座です。
東京と京都でそれぞれ開催され、第1期は合計35人が参加したとのことです。
この講座には、草刈さんのこんな想いもあるそう。
でも、大事なのはツールではなく、何を伝えるか。
なんか、分かりますね~。
草刈さんの言いたいことも分かるし、ツール選びで迷う気持ちも分かる。
でもそういう人ほど、この連続講座に参加すると、ツール以前に「何」が伝えたいのか、その核を見つけられるのかもしれませんね。
今、草刈さんはこの連続講座の第2期に向けて準備をしている段階です。
2期は1期と名前が変わるそうです!
1期は「共創ライブ」でしたが、2期は「自分表現ライブ」になります。
一人一人が本当に自立して自分を出し切った表現をすれば、必ず共振は生まれる。
だから、二期からはストレートに『自分表現ライブ』にすることにした。
手段をおいておいて、やりたいことをできる場。伝えたいことを発信できる場。一緒に発信する仲間ができる場。失敗しても大丈夫という安心の保証されている場。
とのこと。
- 自分の殻を破りたい。
- 魅力的で、ちょっと変わった人たちと出会いたい。
- 自分が心から伝えたいと思っていることは何なのか、真剣に探りたい。
- 表現について試行錯誤できる場と仲間が欲しい。
動機はなんでもいいと思います。
草刈さんのこのインタビューを読んで、心に響くものがあれば、是非、参加してください!
と、書いたのですが、
なんとこの講座、中止が決まったそうです!(10.13追記)
「人が集まらなかったから」ではなく、「流れが悪かったから」という中止理由も草刈さんらしくて、素敵! → 詳細は草刈さんのブログで
きっと、また流れが良くなったら、違う形ででも開催されると思いますので、そのときはまたご案内します♪
このインタビューで2時間お話を聴いただけでも、自分の「枠」がちょっと外れたというか、広がったのを感じました。草刈さん、予想通りというか、予想以上に、面白い、素敵な方でした!
★草刈さんのサイト
http://karimasa.net/
★個性筆ブログ
https://ameblo.jp/fudemozi/
★草刈さんのインスタグラム
https://www.instagram.com/karimasa0520/
草刈さんから学んだしあわせに生き・しあわせに働くヒント
- 「〇〇できたら、△△できる(香港まで飛行機に乗れたら、パニック症は治る)」と心を決めれば、その通りになる
- しあわせとは、価値観の転換に出会うこと
- 人に「大丈夫!」と言ってあげられる人になる
- 人から勧められることは、1度はかじってみるといい
- 「つくる」を取り戻すと、安心が生まれる
- 何が自分をしあわせにしてくれるのかを知って、それを死守することが大切
- 自分の気持ちに嘘はつかない
- これからは「△」ではなく「〇」
普段言葉に向き合っている草刈さんの一言一言には、非常に含蓄があり、とても心に残りました。
草刈さん、東京にいる貴重な時間を割いて頂き、ありがとうございました。
◆是非、他の素敵な仕事人インタビューもお読みください!
→ 素敵な仕事人の定義と一覧
それで、僕もやりたいことを我慢するような子供にいつの間にかなっていた。
中学、高校、大学と順調に進んでいったけれど、やりたいことを我慢しているうちに、自分のやりたいことが分からなくなっていたのかもしれない。
中学、高校の頃から、『将来の夢は?』と聞かれるのが嫌だった。夢なんてなかったから。
大学は、国語が苦手だからという理由で理系に進み、つぶしが効きそうだという理由で、経営工学部に入り、みんながSEになるからと、システムエンジニアになった。