「伝える」はいつも1対1の行為:クリエイティブディレクター&「交野おりひめ大学」総合プロデューサー・甲斐健さん

甲斐健さん

今日は素敵な仕事人として、クリエイティブディレクターであり、交野おりひめ大学の総合プロデューサーとしても活躍されている甲斐健さんをご紹介します。

甲斐さんは第一企画(現:アサツー ディ・ケイ)に入社、コピーライターやクリエイティブディレクターとして活躍されたのち、独立してフリーのクリエイティブディレクターとして活動を開始され、そこからも18年になる方です。

広告代理店時代には、「じゃがりこ」を生み出す立役者になったり、KIRIN「Supli」の開発に携わったり(今、サプリメントのことを「サプリ」と当たり前のように言うのは、甲斐さんたちのチームが「Supli」を作ったからなんですよ!)、福山雅治さんのCITIZENのキャンペーンや、織田裕二さん・小西真奈美さん・野際陽子さんによる「ユーキャン」のCMを作ったり……ものすごい経歴をお持ちの方です。
(どのCMも、見たことあるものなぁ)

その頃は、南青山や代官山に住み、ジャガーを乗り回していたそうですが、今は、大阪でも知らない人が多いという「交野」という人口8万人規模の市に住み、市の活性化のために、ボランティアで動き回っています。

その活動は、「格好良く言うと、AKBでいう秋元康さんみたいな“総合プロデューサー”」だそうですが、「でも実際のところ、トイレ掃除までする雑用係でもある」とのこと。

そして

甲斐さん

自分がコーナンの1600円の長靴を履くとは思わなかったな。どうせ田んぼ仕事で汚れるから、2300円でも2500円でもなくて、1600円でいいかと考えるなんて。

とも言われていました。

でも、そんな「今」も嫌いではないのでしょう。ちょっと満足げに笑いながら話されている姿も素敵な、とても自然体の方でした。

Contents

広告代理店に入社してからクリエイティブディレクターになるまで

甲斐健さん大学卒業後、広告代理店に入社したのは、糸井重里さんや仲畑貴志さんが活躍し始めた頃で、「裏方が脚光を浴びるような広告の仕事に興味を持った」のがきっかけだったそうです。

甲斐さんはまずはコピーライターとして仕事を始め、徐々に映像にも幅を広げてCMプランナーになり、CMの絵コンテも書くようになり、経験を重ねてクリエイティブディレクターになります。
(コピーライターやデザイナーなどから徐々にスキルアップし、全体を統括するクリエイティブディレクターになるのが一般的だそう)

コピーライターの頃から、仕事は楽しかったそうで、

甲斐さん
家に帰ってからもずっとコピーを考えていて、ペンを握ったまま眠ってしまい、気づいたらペン一本分のインクが黒いシミとしてベッドに広がっていた、ということもあった。

とのこと。

そこまで仕事に熱中できた経験があるっていうのも素敵だなと思います。……というか、そこまで熱中して仕事をできる甲斐さんだったからこそ、人の心にしっかり残るCMを多数生み出せたともいえるのだと思います。

 

クリエイティブディレクターとして広告を作るときに大切にしていること

この日、インタビューの前に、実はある団体のホームページリニューアルの打ち合わせがあり、私も同席させて頂いたのですが、依頼者の説明を受けて甲斐さんが返す言葉、一つ一つが非常に納得性が高く、「うわぁ、本当のプロって、こういう視点で仕事をするんだ」と、学ぶこと満載でした。

そんなこともあり、甲斐さんにはインタビューでも、こんな質問をしてみました。

遊部香
広告を作ったり、企画をするときに大切にすることは何ですか?
甲斐さん
いつも心に置いていることは、いくつかあるけれど、多くはない。

まず、ターゲットありき、だということ。

広告というのは、人に買ってもらうためにあるのだけれど、どんな人が買うのか、どうしたらその人たちが心地よくなるかを考えて、その人に伝わる方法を考える。

そして、広告は商品に合う洋服でなくてはいけない、ということ。

商品にはブランドイメージがある。ないなら、まずブランドイメージを作らなくてはいけない。そのブランドイメージを作るために一番ふさわしい方法を考える。

たとえば、CITIZENの広告を作った時は、“ちょっと堅い雰囲気の大人の男性がしている時計”というイメージを払拭するためにおしゃれな俳優を使いたかった。で、福山雅治さんを選んだのだけれど、なぜアイドルでなく、福山雅治さんだったのかというと、福山さんは当時から“クラフトマンシップに造詣が深い”というイメージがあって、そういう番組も持っていたから、そのイメージをうまく使うためだった。

なるほど……。今、福山雅治が旬で、なんかオシャレになりそうだ、という理由だけじゃないんですね!

甲斐さん

それから、広告を作る人の中には、できるだけインパクトのあるCM、面白いCMを作ろうとしている人もいた。でも、CMが面白い方が良い商品もあれば、面白い必要がない商品もある。

面白くて話題になったけれど、商品が売れないCMより、ちょっと地味でも商品が売れるCMのほうが良いCMだと僕は思って作ってきた。

確かに、言われてみればそうですよね。印象には残ったけれど、「結局、何のCMだったっけ?」というものもなかにはありますよね。

甲斐さんは、「面白いものを作ろうとあえて狙わなくても、商品が売れるものをと考えていたら、勝手に広告の賞はついてきた」と、さらりと言われていましたが、「何が何でも賞が欲しい」「作り手の自分が脚光を浴びたい」と思うのではなく、むしろ「主役は商品」とそれを立てる立場に徹したからこそ、その働きが評価されたのかもしれませんね。
(甲斐さんは、ACC賞・広告電通賞・日経広告賞・日本産業広告賞・日刊工業新聞賞など、多くの賞を受賞している方なのです)

甲斐さん
そしてもう一つは、シンプルに伝えるということ。

分かりやすく、格好良くということをよく考える。分かりやすいのに、恰好いいというのは、結構難しいのだけれど。

今もCMを見ているとき、「これ、母ちゃん、分かるかな?」と考えたりする。

なるほど。

甲斐さん
CMを一本作って流すとなると、億単位のお金が動く。だから企業の役員の方などは、あれも言ってくれ、これも言ってくれ、となる。

でもCMを見るのは、一日働いて疲れて帰ってきて、ソファーに座って、やっとくつろげたというような人。

そんな人に、15秒で10も20も伝えようとしても、それが心に残るとは思えない。それなら、1個だけでも確実に伝えましょう、と、クライアントさんにはよく言っていた。

なんか耳が痛い(^^;)

「文章を書くと長くなっちゃう」なんて(←私のよく口にする言葉)、凡人が言うことの極みのような……。諸々、反省……。

 

ターゲットを絞るということ

私も起業家としてはまだまだ駆け出しなので、ターゲットを決める、ペルソナをしっかり設定すると言われても、「頭では分かるけれど……」という状態で、一人の人に絞り切れなかったりもしています。

でも、仕事もブログもターゲットが絞り切れないという私に、甲斐さんはこんなアドバイスをしてくださいました。

甲斐さん

やっぱり勇気をもって絞り込むことが大事だよね。

削って、削って、削っていかないと、結局は、なんでもあり、になってしまう。

CMでもブログでも、なんでも結局は1対1の話。

でもその「1」の後ろにはたくさんの人がいる。楽しいことを探している人や、みんながやっているならとついてくる人もいる。「1」をきちんと動かせれば、あとは勝手についてくるから大丈夫。

だから僕は、広告を作るとき、友人の一人を具体的に思い浮かべて、そいつだけを笑わせようと思って作ったりもしていた。

勉強になります!

「ターゲットありき」という先の甲斐さんの言葉も、起業家には非常に重要な言葉じゃないかなと思います。

 

フリーになって12年後、地元大阪へ

甲斐さんは、そんな大きな仕事をたくさんしたあと、32歳でフリーになります。

総務部の女性が「自分もクリエイティブな仕事をしたいと思い始めた。だから仕事を辞めて、その勉強をすることにした」と会社を辞めることになり、その女性の勇気に甲斐さんは感動したのだそう。そして、その送別会に出た翌朝……

甲斐さん
ふと見上げた空が真っ青で、「あ、僕も会社、辞めよう」と思った。

ええ?!

優秀な甲斐さんは、引き留めにあい、結局辞められたのは半年後だったそうですが、それでも、初志貫徹、会社を辞め、そこからはフリーで活動を始められます。

そしてフリーになって12年ほど経った、今から7年前、高齢になった両親のそばで暮らそうと、大阪に戻ることになりました。

甲斐さん
でもやっぱり、広告業は、東京を中心に今も動いている。ネットなどが発達した今、一番遅れているのが広告業界かもしれない。

関西で大きな広告の予算を持っている企業は数えるほどしかない。だから、やっぱり大阪に来たというだけで、仕事の値段は本当に下がった。特に関西は「目に見えないものにお金は払えない」という意識の人が多いようにも感じる。

でも、おりひめ大学の仕事をしていて、関西圏の知り合いも非常に増えてきたから、いずれはそういうネットワークを生かして、“広告は東京で作られるもの”という今の状況を変えていくことにも役立てたらと思っている。

クリエイティブディレクターの甲斐さんに大きな仕事が来て、大阪を中心に広告作りができれば、大阪のクリエイターたちに仕事も回っていくのでしょうし、そんな良い流れができたらいいですよね。

実際、大阪に来てから甲斐さんが担当したワコーレマンションシリーズは、戸田恵梨香さんを起用した「LIVE MORE KOBE キャンペーン」によって、関西不動産市場初月売り上げ戸数1位を記録したそう。

甲斐さんは、「広告の力だけで1位が取れるものではなくて、色々な要素が組み合わさっての1位だけれど」と謙遜されていましたが、甲斐さんの力も大きかったはずです! 東京に住んでいないからというだけで、優秀な才能が活躍の場を減らされてしまうのは、もったいないことですよね!

 

交野おりひめ大学設立のきっかけは5年前の同窓会

先に、甲斐さんが大阪に戻ってきたのは7年前と書いたのですが、戻ってきてすぐは交野市に住んでいたわけではなく、特別「地元のためになにかしたい」という想いをもっていたわけでもなかったそうです。

甲斐さん
5年前に中学校の同窓会に参加したとき、「町のためになにかやりたいね」という話が出た。

交野市はかなりの財政赤字を背負っていて、相当まずい状態だから、なんとかしないと、と。同級生の中には市役所の役人も数人いたから。

「でも、そういう想いはあっても、自分たちは企画なんてしたことがないから、何をしていいか分からない。甲斐は、そういう仕事をしているんだろ」というように言われ、あぁ、じゃあなにか考えようか、と思った。

最初は「企画係」のつもりだった。こんなにどっぷりつかって、運営まですることになるとは思わなかった。

というのが、甲斐さんが交野市の地域活性の立役者になるまでの道筋だったそうです(笑)

交野おりひめ大学飲み会の勢いで「やろう、やろう」と盛り上がって、その場限りって結構ありますよね……。この話の場合、すぐに熱が冷めたわけではないようですが、でも、言い出しっぺのメンバーは次々フェードアウトしていき、気づいたら甲斐さんが中心に残っていた、という感じのようです……。

甲斐さん
最近は僕がいろいろな人を巻き込むほうになっているから、『甲斐さんに騙されて巻き込まれた』と言う人も増えてきたけどさ、まず僕が最初の被害者なんだって。

甲斐さんはそう、どこまで本気か冗談か分からない口調で言って、笑っていました。

 

交野おりひめ大学の狙い

ただ、そんな「成り行き」で交野の地域活性化の中心メンバーになってしまった甲斐さんですが、地域活性のための手段がなぜ「おりひめ大学」だったのか、という話には、さすがクリエイティブディレクター!という視点があり、圧倒されました。

甲斐さん
さっき、「じゃがりこ」の開発にも携わったと言ったけれど、「じゃがりこ」って年350億円くらい売り上げているんだよね。それに対して、交野の年間の予算は200億円くらい。

だから初めに考えたのは、「じゃがりこ」くらいのヒット商品を1個作ればいいんじゃないか、ということだった。

でも交野市全体をよく見てみると、人口8万人くらいの市なのに、地区ごとに分断されているし、小さな市民活動は色々あって、たくさんの人が汗をかいているのだけれど、一つ一つが独立してやっているだけで、面どころか線にもなっていない状態だった。

それを見たとき、交野に必要なのは、1つのヒット商品を自分が企画して作り上げることじゃなくて、この地域全体が、この地域全体の老若男女すべての人が関われるものを作っていくことじゃないかな、と感じた。

それで、「市民大学」を作ろう、という考えに行き着いた。

遊部香
交野おりひめ大学には、今、6つの学科があるんですよね?
甲斐さん
そう。少しずつ増えていって、8つになり、今は2つ休みになっているから、実質6学科。今度もう一つ増える予定だから、そうしたら7つ。

この学科も、こだわりをもって作っている。

これまでの行政主導の市民大学は、「英語」とか「フラダンス」とか、カルチャースクールで開かれていそうな内容の講座が多い。でも、おりひめ大学では、「交野だからできることをしよう」という方針を初めに決めた。

交野には今も水道水の7割に地下水を使用するくらいきれいな水があった。しかも小さな市なのに2つも酒蔵がある。そして今も大阪市内とは違う自然が広がっている。

そんな交野らしさを生かそうと思って、「そば学科」「おさけ学科」「里のしぜん学科」などを作った。

甲斐さんは交野おりひめ大学を作る前に、日本国内はもちろん、海外の地域活性事例や他の地域の市民大学についてかなり調べられたそうです。

こういうところも、本物は違うな、と痛感しました。

やっぱり人より頭一つ飛びぬけた仕事をされる人って、思考も行動も、「普通の人」とはレベルが違うんですよね。

一流の人には、「最低限目的が達せられればいい」「表向き、やっているように見えればいい」というような考えは一切存在しないのでしょうね。むちゃくちゃ勉強になるし、反省させられることしきりです……。

交野おりひめ大学そんなふうに一流の「総合プロデューサー」がついている交野おりひめ大学は順調に学生を増やし、現在は「のべの登録が1000人を超えていて、実際に熱心に動いているのが300人ほど」という規模にまで成長し、その人数は日本の市民大学のなかでも多い方なのだそうです

 

市からの「自立」

でも、ここまですべてが順風満帆だったわけではありません。

実はこの交野おりひめ大学、始まった当初は市の事業であり、年間100万円の予算がついていました。でも、開校から1年ほど経った、今から3年ほど前に市の体制が変わり、「早く自立してください」と、補助を打ち切られたとか……(^-^;

甲斐さん
当初は市の事業を市民ボランティアで助ける「協働」の形で、職員と市民が理想の関係を作っていた。僕も毎日のように市役所に通い、会議室で作業していたくらいだったんだけどね。だから今でも、僕を市役所の職員だと思っている人はいるんじゃないかな。

と、今は冗談交じりに言われていましたが、そのときは、相当やりきれない気持ちだったのではないかと想像されます。

市のためを思って、むしろ市をバックアップしようと思って活動を開始したのに、「自立してください」と言われたら、「は?!」ですよね!

でも今は、

甲斐さん
学生は年間1000円、事務局員は年間1万円、理事は年間2万円の費用を負担し、それで運営費はどうにかまかなえている。

ということで、しっかり「自立」して活動されているそうです。

そして、自分たちで作った酒米からお酒を造ることにも成功し、今後はそれを売って利益を出し「事業化する」ことまで視野に入れて活動されているとか。

百天満天まだ事業化一歩手前なはずなのですが、その交野おりひめ大学のおさけ学科と山野酒造で作られたお酒「百天満天」のチラシは、大手酒造メーカーの広告のような出来栄え。さすが!

私もお金貯めて、甲斐さんにこのブログのブランディングを頼みたい~!!(笑)

 

ゴールは、持続可能な形にすること

遊部香
甲斐さんのなかでの理想の形というか、目指すべきゴールはどこなのですか?
甲斐さん
今は、どこを目指しているのかみんなの意識がまだ固まっているとは言えないから、それを固めて、体制を決めて、次の世代を育て、ゆくゆくはバトンタッチしていくこと。

そして、次の世代がさらに次の世代にも伝えていかれるような、「持続可能な形」にできるだけ仕上げていくこと、かな。

僕は、自分が中心にいたいわけじゃない。むしろ、「もう大丈夫ですから、明日から来なくていいですよ」と言われたら、本気で嬉しい。言われたら、本当に来なくなるし(笑)

それくらい、僕の存在とは関係なく、持続される形を作り上げること、そこが目指しているところかな。

冗談っぽく言いながらも、内容はさりげなく格好いい……。すごい!(笑)

そんなふうに甲斐さんはちょっとつかみどころのない軽やかさで、「僕は別に交野が大好き!ってわけでもないし」とか、「人とのつながりができて、なんか抜けるに抜けられなくなっちゃったから、続けているだけ。でも続けていると、さらに人とのつながりができて、どんどん抜けられなくなるね」とか、ひょうひょうと話されていましたが、でも、

遊部香
おりひめ大学の活動をしていて良かったと思うのはどういうときですか?

という問いには、

甲斐さん
「おりひめ大学ができて、居場所ができた。ありがとう」と言われたとき。

と答えられていました。そんな、懐が深く、人間味あふれる、本当に素敵な方でした。

大阪近郊の方、大阪に遊びに行ったときに「THE大阪」ではない大阪を感じてみたい方は、交野まで足を運んでみてください。

特に、田植えや稲刈りは、オープンイベントで、学生以外でも、誰でも参加できるそうですよ。稲刈りをしていたら、甲斐さんも普通に1600円の長靴で作業しているはずです(笑)

事務局の川野輪さんと、酒米・山田錦の田んぼの前で。


交野おりひめ大学

交野市民でなくても、おりひめ大学の学生になることもできるそうです。
お近くの方はサイトなど覗いてみてくださいね♪

・ホームページ → http://orihime-univ.com

・facebookページ → http://www.facebook.com/katano.orihime.univ/


起業家へのヒント:甲斐さんから学んだことのまとめ

  • まずターゲットありき、で考えること
  • 伝えるという行為は、広告でもブログでもなんでも結局は1対1の関係であると意識すること
  • できるだけシンプルに考え、伝えること
  • 仕事でも他の活動でも、やるからには手を抜かずにやりきること
  • 理想のゴールを設定して、一つ一つの工程を決めていくこと

シンプルにまとめると、こんな感じです!

でも、甲斐さんが語ってくれたことではなく、甲斐さんの生き方を見て自分が一番学んだことは、「お金は、仕事の報酬の一つの形であって、仕事の報酬が他の形で来ることもある。その報酬のほうが、お金より、もっとずっと価値のあるものであることも多い」ということかな、と思います。

甲斐さんは「いろいろな人に恵まれて、やれてきている」としきりに言われていましたが、人に恵まれるのは、甲斐さんがそれだけ、周りの人に与えてきている人だからなのだろう、とも感じました。

そこで、最後のヒント。

  • 自分がしあわせな人生を送るために本当に必要なものを知り、それを手に入れられる人生を選ぶこと

これは、起業している人にも、そうでない人にも、「しあわせに生きるヒント」になるかと思います。

甲斐さん、お忙しいなか、本当にありがとうございました。お話の一つ一つが、とっても勉強になりました!

◆是非、他の素敵な仕事人インタビューもお読みください!
素敵な仕事人の定義と一覧

 

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執筆者:遊部 香(あそべ かおり)

文章を書いたり、写真を撮ったりしています。

現在は、『凪~遊部香official site~』で主に活動中。

>> 詳しいプロフィール
>> メインサイト「凪」



甲斐健さん