今日は素敵な仕事人として、なんちゃって行政書士であり、本人いわく「人生丸ごと応援家」「雑談コンサルタント」である土井義広さんを紹介します。
土井さんは、多数の素敵な仕事人を紹介してくれているカウンセラー・さわとんや、前回の素敵な仕事人・小松紗矢香さんのメンター的な存在であり、そろそろ還暦の人生の大先輩です。
でも、気軽に「どいちゃんって呼んでね。かおりんって呼ぶから」と言ってくれたので、遠慮なく、記事でも「どいちゃん」と書かせてもらいます。
今まで、行政書士としても、「人生丸ごと応援家」「雑談コンサルタント」としても、多くの起業家を支援してきた、どいちゃんの話からは、仕事で「成功」するヒントが満載でした。
是非、インタビュー、お読みください!
Contents
1年で新卒の会社を退職。転職先の司法書士事務所では所長とケンカ
どいちゃんは東洋大学法学部を卒業したあと、建設資材メーカーに就職しますが、「仕事も、会社の風土も自分には合わなかった」という理由で、1年で退職します。
そして、「逃げるような後ろ向きな姿勢で」何か資格をとって独立できるような仕事でもしようかと、司法書士事務所に就職したそうです。
しかし、
当時はバブルが弾ける前で不動産登記や、会社の登記の仕事が、黙っていても向こうからたくさん舞い込んでくるような時代だった。
だから所長は営業するでもなく、毎日10時半くらいに事務所にやってきて、一日中新聞を読んでいるような感じだった。
たまに書類を書くと間違って、その訂正のために仕事が増えるから、誰も所長に仕事をさせないようにしていたくらいで、だから僕は入った時から、書類の書き方とか、誰にも教えてもらわなかった。“本を読め”とだけ言われて、本を読んで、自分で理解して、仕事をしていた。
というような状態だったとのこと。でも、
本を読みながらでも、3か月半くらいで一通りの仕事はできるようになった。ここでの経験は、“自分で考えて、自分でやる”という仕事の基礎力を養ってくれたように思う。
と、どいちゃんはプラスに解釈していました。
ただ、現実問題として、初任給が月12万円という低い金額で、そこから増えていく見込みもないし、毎日登記のために色々な役所を歩き回るような日々で、夜には疲れ切ってしまい、司法書士の資格取得の勉強もできず、「未来が見えない」状態だったと言います。
そして、やる気のない所長にひきずられるように、自分も「所長が10時半にしか来ないのなら、自分も10時までに事務所に行けばいいだろう」と、ずるずる出勤時間も遅くしていき、どんどん、怠惰な生活に落ちていきました。
20代後半に結婚したものの、この給料では子供ができても育てられないという不安や焦りもあったそうです。
そして、事件が起こります。
所長がたまたま用事があって早く事務所に来る日があり、どいちゃんが9時に出勤していないことがばれてしまったのです。
「なんで、9時に来ていないんだ」と怒る所長に、不満をいっぱいため込んでいたどいちゃんは、「お前こそ、なんで10時半にしか来ないんだ」と応戦し、ケンカが勃発したそうです。
人生の自信につながった経験
結局、そのケンカは、事務所にお客さんが来たことで終わりますが、どいちゃんはそこで決意をします。
「半年後に辞める」
と。でも、決意はそれだけではありませんでした。
「辞めるまでの半年は、8時半までに出勤して、毎日事務所の掃除をする」
「辞めると決めているのに、どうして早めに出社して、掃除をするなんて決めたんですか?」と私は訊いたのですが、「仕事はしっかりやっているつもりだった。でも、態度が悪いために、評価されていなかった。それが悔しくて、見返してやろうと考えたんだと思う」とのこと。なるほど~。
そして、決意を決めたどいちゃんは、半年間、1回の電車遅延を除いて、毎日欠かさず人より早く出勤し、掃除をしました。
始めたころは、畜生というような気持ちで、机を拭いていたんだよ。でも、不思議とね、毎日やっていると、次第に、“ありがとう”という気持ちになってくるんだね。“お世話になったな”とか。
そんな変化は、どいちゃんの心の中だけではなく、周りも変えていきました。
どいちゃんは決意通り、半年経った日にその事務所を辞めますが、退職の日、最後の給料の清算にしては多い金額を所長から渡されたそうです。
所長は最後にこう言いました。
「土井くんには本当に世話になった。うちには退職金制度なんてないけれど、ハローワークに電話して、5年くらい勤めた人にはどれくらいの退職金を払うものなのか訊いたんだ。給料と一緒に、その金額も入れてあるから」
半年かけて、所長とお互い許しあえたんだと思う。
どいちゃんはそう言っていました。
そしてこれは、「人生の自信につながる経験だった」と。
僕は、その半年間、早く出勤して、掃除をするということは頑張ったけれど、仕事で何か大きな成果を出したわけではない。
でも小さくても、これをやると決めて、それを実行した。ナポレオン・ヒルが言う“明確な目標”を持って、それを達成した。
そういう達成が、自己信頼を回復させるんだということが、実体験を持って、分かった。
なるほど~!
確かに、「売上2割増」みたいな目標を立てても、達成できたり、できなかったりするでしょうが、「早めに出社する」などは、決意すれば誰にでも達成できるんですよね。
自分に自信がない人は、そういうところから「自己信頼」を築いていくって大切ですよね。
※ちょうど去年の今頃インタビューさせてもらった社労士の桑原先生も「自信を持つには、自分との小さな約束を守っていくだけ」と言われていたなぁ、と思い出しました。
ぶれない芯を持っていて、自信にあふれていていいな、と思える人は、みんなそうやって自分との約束を守った経験をもっているのでしょうね。
大企業の子会社でプロパー初の総務課長。そして独立へ……?
司法書士事務所を辞めた どいちゃんは、大企業の子会社でありながら、1000人規模の会社に入社します。
そこでも入社してしばらく、8時半に出勤して、机を掃除をするということを続けると、上司から「見上げたやつ」と評価されます。
そんなことや、司法書士事務所での経験が「総務」の仕事につながったこと、1社目の建設資材メーカーでの経験がそこの会社の業務内容にも似ていて、マッチする人材だったのもあり、どいちゃんは順調に出世します。
そして、今までは親会社の人間が就くと決まっていた総務課長の座に、プロパー社員として初めて、着くまでになります。
しかし、会社の後継者問題から派閥争いが激化する時期に、プロパー初の総務課長は頻繁に矢面に立たされ、どいちゃんは随分、しんどい思いをしました。
そして、7年でそこを去ることを決意します。
娘さんがちょうど小学校に入学するというタイミングだったのもあり、どいちゃんは、そろそろ独立しようと思い、実家のある北海道に戻ります。
しかし、ときは1998年。山一證券が経営破たんし、拓銀がなくなった年です。
父親に「こんなときに北海道に帰ってきても、仕事はないぞ」と言われ、どいちゃんは、経済状況が落ち着くまで、とりあえずまた会社に勤めることにしました。
化粧品メーカーで、異例の抜擢。統括マネージャーに
化粧品メーカーが札幌に店を出すから、支店長を探しているという情報を得て、どいちゃんは面接に行きます。
そこで面接の担当者に気に入られ、「次は社長が来ますから」と言われたそうです。
そして後日、創業者である女性社長との面接がありました。そこで急に、こう言われます。
「あなたはこんなところにいる人じゃない。東京へ来なさい。
今から家に帰って、妻子を説得してきなさい」
その女性社長はカリスマ的な人だったそうです。どいちゃんは思わず説得され、札幌に来て数か月で、東京に戻ることになります。
小説みたいなドラマチックな話!(……ではありますが、北海道の小学校に入学した娘さんは、1学期だけ通うとすぐ転校になってしまったそう。それはちょっと、かわいそう……)
どいちゃんは今まで、建設関係の「どちらかというと男社会」にいたのに、急に女性がほとんどの化粧品メーカーに入ることになり、最初は苦労するだろうと思ったそうです。
でも、「その苦労は、思ったほどじゃなかった」とのこと。
最初から、女性の気持ちは分からない、とはっきり公言していたのが逆に良かったのかもしれない。
なるほど。
ただ、統括マネージャーという責任のある立場を任され、月の半分は出張で東京にいず、新しい店を作ったり、採用したりという仕事をしていたという、どいちゃん。
その過労で、潰瘍性大腸炎にかかります。体が痛いのに、休めない、出張に行かないといけない。仕事も会社も好きだけれど、体がついていかないということにストレスも募り、どいちゃんはついに入院します。
そして、「会社は好きだけれど、やっぱり自分の体と心が大切だ」と思い、仕事を辞めます。それが45歳の頃だったそう。
行政書士としてゼロかマイナスからのスタート
そして、どいちゃんはついに、独立する決意をします。
司法書士はかなり難しい試験なので、今からでは難しいだろう、それなら行政書士を目指そうと思い(司法書士と行政書士の仕事は似ていますが、司法書士は、登記や裁判など司法関連、行政書士は営業許可など役所の手続きがメインの資格なのだそうです)、勉強を始めます。そして、2度目に合格しました。47歳のときだったそうです。
しかし、司法書士事務所での経験、総務の経験はあるものの、営業して自分の仕事をとってくるという経験はなく、はじめは
しばらくは何をしたらいいかも分からない状態だった。人脈もないし、お金もない。それで、仕事もないし、ただぼーっとしていた。
という状態だったそう。私の社労士開業時と似ている……。
でも、どいちゃんは私と違い、少しすると行動のヒントを見つけ、動き出します。
しばらくぼーっとしていたのだけれど、あるとき、自分と同じような状況の人はたくさんいるんじゃないかと思った。
それで、似たような人をスカウトしていって、ネットワークを作っていくことにした。
いまでこそ、似たようなことをしている人はたくさんいるけれど、当時は珍しかったと思う。行政書士・税理士・社労士・カウンセラー・コーチなど駆け出しの士業を集めてチームにした。
私の知り合いの社労士にも、そうやってチームで軽い相談会を開き、お客さんをつかまえていき、成功した人がいます。
とにかく、ひとりで動けないなら、誰かを捕まえてみるというのも大事ですね。
ただ、どいちゃんはこうも言っていました。
チームを作ってから、交流会のようなイベントを開こうということになった。で、1回目から、50人集客した。でも、ふたを開けてみたら、50人のうち45人は自分が集めてきた人だった。
つまり、他のメンバーは、ほとんど何もしていなかったということに気づいてしまった。
そんな経験をしながらも、どいちゃんはしばらくはチームでの活動を続け、チームのホームページの制作費用を稼ぐために、北海道に出稼ぎにも行ったりしたそうです。
出稼ぎの仕事は、中小企業庁の下請けの仕事で、地方のシャッター街の現状を調査するものだった。
当時は小泉首相の規制緩和で、郊外にイオンモールのような大きな商業施設が建ち、駅前の商店街がさびれるという状況が至る所で起きていた。
だから、商店街の店主に訊くと、役人と間違えられて“小泉にどうにかしろと言え”とよく言われた。9割の店主は、現状に不満を抱き、愚痴ばかり言っていた。
でも、10か所のシャッター街を回ったのだけれど、面白いことに、どこの商店街でも、1,2割は必ず、あきらめていなくて、きらきらしている人がいた。
そういう人たちは、“待っていてもお客さんが来ない時代なんだから、自分たちから出ていくしかない。お客さんが何を求めているか、まず知らないといけない”と言い、自分から行動を起こす気概を持っていた。
その仕事は、ホームページ製作費を稼ぐための副業だったけれど、でも、大事なことをそこから教えてもらった気はしている。
結局、自分次第だって。
その気づきは今にも生きる大きなものだったと、どいちゃんは話してくれました。
小松紗矢香さん、さわとんとの出会い
異業種のメンバーと組んだチームは、自然消滅のような形で解散させたそうですが、当時関わりのあった人の中で、唯一、どいちゃんが心から信頼している友人がいました。千葉でコーチをしている佐藤真一さんという方だそうです。
佐藤さんは、福島正伸さんのファンで、イベントも手伝っていたそうですが、その佐藤さんから、ある日、
「福島正伸さん関係で知り合った人のイベントを手伝うことになったのだけれど、どいちゃんにも手伝って欲しい」
と言われます。「真ちゃんの頼みごとなら、即オッケー」ということで、当時、どいちゃんは福島正伸さんも、ドリプラのことも知らないながら、イベントの手伝いに行きます。
そのイベントというのが、前回の素敵な仕事人・小松紗矢香さんが主催するものでした。
紗矢香さんもインタビューで、「以前は、気持ちだけが先走っていて、どうしたらいいかも分からなくて、失敗もたくさんした。思ったように集客できなくて、イベントを手伝ってもらった、どいちゃんにまで赤字を補填してもらったり……」と話されていましたが、そのイベントだったそうです。
どいちゃんも、「イベント自体は大失敗だった。広い会場を借りたのに、200人も集まらなくて……」と言われていましたが、でも、こうも言っていました。
でも、そこで出会ったメンバーは、本当に素晴らしい人ばかりだった。
そして、どいちゃんは紗矢香さんに興味を持ち、紗矢香さんの支援をし始め、紗矢香さんのイベントの手伝いに来ていた、さわとんとも知り合うことになったそうです。
さわとんは、当時、もう本を出していたし、仲間内では有名人だった。だから、どんな人が来るんだろうと、会う前は楽しみにしていた。
でも会ってみると、びっくりするくらい真っ黒なオーラが出ていて、驚いた。
ど……どんだけ、黒かったんでしょう……(^_^;)
それで、さわとんのことも気になりはじめてしまった、どいちゃん。紗矢香さんにも、「さわとんが悩んでいるみたいなんだけれど、今の私には何もしてあげられないから、どいちゃん、お願い」と頼まれ、しばらく、さわとんのカウンセラーのようになって、さわとんを支えたそうです。
支援する側ができるのは、相手を信じて待つことだけ
当時、さわとんは、ドリプラで脚光を浴び、本も出し、すべて順調な成功者のように周りからは見られていましたが、実際に仕事がさほどあるわけではなく、これから事業をどうしていっていいか分からない。でも、誰にもそんな本音は洩らせないという苦しい状態だったよう。
僕も当時は暇だったし、さわとんのカウンセリングルームがあった日暮里まで、本当、毎日のように出向いて行っては、話をしていたなぁ。
と、どいちゃんは遠い目をして、懐かしそうに語ってくれましたが、そのあと、こんなことも話していました。
でも、さわとんの支援は結構大変でね。僕も当時は、あれをしたらいい、これをしたらいいと色々言ったんだけれど、さわとんは“いいですね”と言うのに、やらない。昨日と今日では言うことが違ったりする。
最初はそれを僕の方も受け止めらず、なんで?と思ったりしていたけれど、次第に分かってきた。
結果として、何もしない方がいいんだ、って。
人は、僕の思い通りになんて動かない。相手の思う通りにしか動かない。だって、やるのは本人だから。
だったらもう、相手を信じて待つしかないな、と。
さわとんとの関係で学んだことも、大きかったな。
どれだけ相手を信じられる自分でいるかが大事なんだって、分かったから。
ただ、手を焼いたと言いながらも、どいちゃんは「さわとんはすごいよ」とも言っていました。
さわとんは、やるときちんと決意して、約束したことは、きちんとやった。
今、さわとんは日本全国の自治体から、自殺予防などについて講演を頼まれているけれど、それは、当時“千葉県の54市町村全部に行って、自分はこんな話ができると営業する”と決めて、それをしっかり守って、行ったから。
「カフェありがトン(月2回程度、カフェに集まって話をするイベント。さわとんのカウンセリングを受けている人も、そうでない人も、うつの人も、そうじゃない人もwelcomeな集まり)」は、最初、僕が「やらない?」って提案した。
誰も集まらなくても、僕はいくよと言って、最初は、さわとんと僕と、友達の3人だけだったし(その第1回の写真をさわとんにもらいました)、僕も仕事があっていかれなくて、ゼロというときもあった。それでも、さわとんはずっと続けてきた。
だから今は、特に案内をしなくても、毎回自然と人が集まるようになってきている。
成功している人のなかには、棚ぼた的に成功を手に入れた人もいるのでしょうけれど、実態のともなっていない、棚ぼた的な成功は、逆に人を不幸にするのかもしれません。
本当の成功は、自分の足で一歩一歩進んだ先に、自ら作り上げるものなのですね。
そんなことを、どいちゃんの話と、どいちゃんの語るさわとんヒストリーから、強く学びました。
そしてどいちゃんが、紗矢香さんとさわとんについて語ったこんな言葉も素敵でした。
僕は紗矢香もさわとんも、自分の子供のように思っている。
だから、2人が今度は起業家を支援する側になって、とても嬉しい。2人が育てた人たちは、僕にとっては孫みたいなもの。
早くひ孫がみたいな、と思う。
どいちゃん流の起業家支援
どいちゃんは、「お仕事は結局、どういうことをされているんですか?」と訊いても、「行政書士の資格は持っているけど、行政書士じゃないよ。ただのおっさん。雑談コンサルタント」という答えしか返って来ない、なんというか、飄々とした方です。
2時間少しお話させてもらって、ここまで「結局どんな仕事をしているのか」が分からなかった人はいません(^_^;)
※そんな飄々としたどいちゃんから、ここまで真面目な話を聞き出せた私のヒアリング力、評価してもらいたい(笑)
でも、多分、起業家に対するコンサルをされているということじゃないかと思われます。
で、「起業したけれど、うまく行かないという人にアドバイスするとしたら、何て言いますか?」と質問してみました。
すると、「上手くいかないというのは、ただの思い込みなんじゃないの?」という言葉が、開口一番、返ってきました。
できないと思うのは、思い込み。できると決めれば、できるから。
ええ? そうなんですか??
まずは、できると思えるように、小さなことから自分に対する約束を守って、自分に対する信頼を作っていく。僕が8時半までに出勤して、机掃除をすると決めて、やり切ったように。
あとは、自分はコーヒーが飲みたいと思った時に、紅茶じゃなくてちゃんとコーヒーを頼むとか、そういうことも大事。そういうのも、自分に対する信頼になる。
うむ……。
上手くいかないとか、自分にはできないとか悩んでいる人は、結局、行動していない人。
失敗してつかんだものだけが本物だと僕は思っている。だから、失敗したっていい。むしろ、失敗した方がいい。
とにかく、「できる」と決めて、一つずつ行動していくだけ。さわとんが、カフェありがトンを始めたように。自治体に飛び込み営業したみたいに。
自治体に飛び込み営業は自信ないですが……、ちょっとした集まりを毎月開くくらいは、私にも確かにできそうな気がする。
そんな「できそうな気がする」という「できる」の芽を見つけて、育てていくのが大切なのかもしれませんね。
そしてどいちゃんは、こんなことも言われていました。
僕は起業家と話をしていても、「うん、いいんじゃないかなぁ」「それで大丈夫だよ」くらいしか、基本的には言わない(笑)
でももう一つ、迷っている人がいたら「自分がいい気分を選べばいい」とは言う。これは結構大事だと思っている。
どいちゃんは、自分がいい気分でいるために、「楽しい仕事しかしない」と言い切り、「人と会って話すのは、僕にとって趣味みたいなものだから」と言われていました。
自分が支援している人が、さらに起業家の支援をしたりし始めているということは、自分の影響力が広がって、強くなってきているということ。
だから、なおさら、自分の心の状態は良く保っておく必要があると思っている。
確かに、どいちゃんからは、あたたかいオーラが出ていました!
どいちゃんの話からも、本当に多くの学びをもらうことができました。そして、楽しい時間でした。ありがとうございます♪
★どいちゃんの事務所のサイト
http://e-oen.net/
ただ、「あ、そんなのもあったっけ」と本人が言うくらいメンテナンスされていないサイトですので、あまり内容は真に受けず、どいちゃんにアプローチしたいときに、問い合わせフォームを使う程度にしてください(笑)
◆是非、他の素敵な仕事人インタビューもお読みください!
→ 素敵な仕事人の定義と一覧