今日は素敵な仕事人として、Shikama.net代表で、WEB企画・制作・コンサルティングの仕事をされている志鎌 真奈美(しかま まなみ)さんをご紹介します。
(志鎌さんは、素敵な仕事人の23人目として登場いただいた田島明子さんにご紹介頂きました。市川市民仲間が増えて、嬉しいです!)
志鎌さんは独立してからもう15年ほど活動されているからでしょうか、フリーランスというより、「経営者」のオーラをしっかりと持った格好いい女性でした。
ただそれでいて、決してとっつきにくい感じではなく、非常にフレンドリーで話しやすいのも魅力で、思わず「私のブログ(というか、事業全体?)のコンサルもしてください!」と言いたくなってしまうような方でした。
そんな志鎌さんも、過去様々な経験を経て、今に至っているとのこと。人生の岐路で志鎌さんが選んだこと、学んだことにも、しあわせに生き、しあわせに働くヒントが満載でした。是非、インタビュー、お読みいただけたら!
Contents
3年間、地元で教員をしたあと、結婚して上京
函館出身の志鎌さんは、教員になるための大学を卒業したあと、小学校の先生になります。
大学の専攻は音楽でしたが、小学校の先生なので、幅広く様々な教科を教えていたそうです。
最近はメディアで学校の先生の過酷な労働が問題になったりしていますが、時代のせいか、函館という場所のせいか、志鎌さん曰く「のんびりとした教員生活だった」とのこと。
ただ志鎌さんは、大学時代から旦那さんとお付き合いをしていて、大学卒業後すぐに東京の会社に勤めてしまった旦那さんとは、遠距離恋愛だったそうです。
それで大学を卒業して3年ほど経った頃、結婚の話が出始め、志鎌さんが教員を辞め、上京することになります。
東京に出てすぐは、メディアで見ていた世界がそのまま広がっている東京という場所に興味津々だった。
普通、アニメでもドラマでも、入学式には桜が咲いているけれど、函館ではそんなことはありえない。東京には、そういう函館にはなかった“メディアのスタンダード”があって、嬉しかった。
ただ、しばらくは働かずにのんびりしていようかと思っていたのだけれど、2週間もすると飽きてきて、とりあえず「とらばーゆ」を買った。
「とらばーゆ」を買う……なんか懐かしい響き(笑) 若い人のために説明すると、ここでいう「とらばーゆ」とは、就職情報誌です(今も「とらばーゆ」は求人サイトの名前として残っていますが)。昔はアルバイトの情報もお金を出して雑誌を買って仕入れていたんですよね……。
うちは母親もずっと働いていたから、女性であっても働くのが普通だと思っていた。だから、専業主婦として家に入るという選択はなかったのだと思う。
ただ東京に出てきてすぐは、“満員電車に乗って通勤する”という、これまた“メディアのスタンダード”に憧れていただけだったから、仕事は何でも良かった。
ということで、東京の1社目の会社は、普通に事務職として就職したそうです。
手に職をと思い転職した先で、運命の出会い
ただ、その会社で2年ほど事務職として働いた頃、
今後、子供ができても働き続けられるように、手に職をつけられるような仕事をしたい。
と思い始めたそうです。
教員の仕事は、生徒が育つ。事務の仕事も、会社の役には立っている。でも、もっと、目に見える形を作って、残せる仕事がしたいと思った。
という志鎌さんが見つけたのが、パソコンスクールの仕事でした。パソコンを使えるようになれば、「形を残す」仕事ができるのではないかと思ったということ。
パソコンを教えるインストラクターの募集でしたが、初心者でも教えられるようになるまで指導します、ということで、「これだ」と思い、応募したそうです。
他業種のオーナーが、「これからはパソコンだ」と空いている一室で始めたような教室で、立ち上げたばかりだったし、生徒もほとんど来なくて、正直、暇だった。
だから暇な時間に本を読んで、パソコンに触れてたくさん勉強できたし、分からないことはリーダー格の人がいるときに訊けば教えてもらえた。
バイト代をもらって勉強させてもらっている感じで、ありがたかった。
確かに、いい仕事ですね。
そして、この仕事を始めたのが良かったのは、それだけではありませんでした。
その頃、パソコン教室の課長に、ホームページというものの存在を始めて教えてもらった。
当時はホームページを作るソフトなんてなかったけれど、課長がHTMLの言語を直接メモ帳に書きこんで、見せてくれた。
メモ帳に書いていたのは、ただの黒い文字なのに、それをブラウザで立ち上げると、文字が赤くなったり、大きくなったりして、驚いた。なにこれ?!と思った。
そう、ここで志鎌さんはホームページ、つまりWEBと初めて出会ったのです。
当時、家にもwindowsのパソコンはあって、niftyが始めたインターネットサービスにも加入した頃だった。
だから課長に教わったように、家でもHTMLを書いて、簡単なホームページを作ってみた。
そのアドレスを海外にいた友達に送ったら、すぐに“見れたよ”と言われた。少し前までは海外とのやりとりは、何日もかけて手紙を送るしかなかったのに、こんな瞬時に、海外にまで情報が送れるんだと思って、感動した。
それから、本当にもう、ホームページ作りにのめりこんだ。気づいたら朝までやっていたくらい。
志鎌さんはもともと、やはり何か作るということが好きだったのでしょうね。元々考えていた「形のあるものを作る」ということにもマッチし、これからはこれをやっていきたいと思ったそうです。
本格的にWEBの仕事に就く
しかし、「暇」だったのが災いし、「パソコン教室では収益があがらない」と考えたオーナーの決断で、3か月で教室の閉鎖が決まってしまいます。
解雇される形になってしまった志鎌さんは次の仕事を探しますが、就職情報誌を見ても、WEB関係の仕事などどこにもありません。
しかし、インターネットで検索すると、東京に4社、ホームページの作成者を募集している会社が見つかりました。確かに、WEBの仕事なら、WEBで募集しますよね……。
で、志鎌さんはそのうち一つの会社で5年間仕事をします。
そこはソフトウェアを開発するのがメインの事業で、プロバイダー事業を立ち上げたところだった。
ホームページ事業は、プロバイダー契約を結んでくれた会社のサイトを作るというもので、部署としては小さなところだった。でも勤めていたあいだに、優秀なデザイナーの人が上司として来てくれた。
私は子供の頃から漫画家になりたいと思うくらい、絵を描くのは好きだったけれど、デザインの勉強をしっかりしたことはなかったから、そこでデザインの勉強を基礎からさせてもらったのは、ありがたかった。
ここでも志鎌さんは、「お金をもらいながら、勉強をさせてもらって、ありがたかった」という言い方をされました。
パソコン教室の話のときは私も、「暇で、勉強していればいい仕事なんていいな~」と思ったのですが、2度目に「お金をもらいながら、勉強をさせてもらって、ありがたかった」という言葉を聞いたとき、これは志鎌さんが特別ラッキーだったということではなくて、志鎌さんはそういう思考ができる人なんだろうな、と思いました。
指導や注意をされたときに「あぁ、ダメだしされた。自分はダメなんだ」と思う人と、「あぁ、学びが得られて良かった。一つ成長した」と思える人がいる……というか。
後者の思考ができる人は、たとえ転職を繰り返しても、経験をしっかり自分の糧や生き抜く力に変えていけるんですよね。きっと。
独立。いきなり株式会社の社長?!
そのソフトウェア会社に5年勤めたあと、志鎌さんは満を持して、独立します。
もう30代半ばだったし、子供を産むことを考えたら、そろそろ働き方を変える時期かなと思った。
志鎌さんは、インタビューのなかで何度か「目の前にある楽しそうなことをしてきただけ」と言われていました。確かに、「これ、おもしろそう」という直感で動いている部分も多々あるのですが、それに加えて、しっかり計画的に将来を見据えて動いている部分もあり、そのバランスがいいんだろうな、と感じました。
しっかり人生の計画の枠組みは決めながらも、細かい部分は出会いや直感に任せ、委ねる。……それが良い人生を送るコツなのかもしれませんね。
そんな考えで、会社を辞めて独立した志鎌さん。
志鎌さんのプロフィールを見ると、「2002年 法人にてウエブ制作開始」「2003年 出産。代表取締役退任」「2004年 個人事業主として仕事を再開」と書いてあります。
独立してすぐ「代表取締役」になって、そのあと「フリーランス」??と、経歴を見たときは不思議に思ったのですが、それにはこんな経緯があったそうです。
趣味のサッカー観戦を通して知り合った人が大企業に勤めている人だった。で、その人から、その会社の仕事を頼みたいから、とりあえず株式会社という形にして欲しいと言われた。
急に株式会社と言われても、会社なんてどうやって作ったらいいか分からないし……と思ったのだけれど、その人が、知り合いを紹介してくれた。
そしてその人に、「兄が会社をやっていたのだけれど、今は休眠中だから、そこの会社の箱を使って、社長をやらないか」と言われた。
すごい。小説のような展開!
その会社の登記は横浜で、横浜にある設計事務所の一部分が空いているから使ってもいいと言われ、市川市(上京した頃は江戸川区に住んでいたけれど、この頃には市川市に引っ越していた)から毎日横浜まで通っていた。
条件的には色々恵まれていたし、紹介してもらう企業もほとんどが大企業で、もらう金額は大きかった。
でも、自分は社長という立場だけれど、株は10パーセントほどしか持っていなかったし、つまりは“雇われ社長”だった。だから、大株主からは、いつも厳しいダメ出しをされたし、ハードな仕事だった。
そこで学んだことは大きかったけれど、これから妊娠・出産・子育てを見据えて働き方を変えるためにフリーになったのに、これでいいのかという違和感はあった。
そんななか、妊娠が分かり、代表の座を他の人に替わってもらうことになった。
なるほど。説明を聞くと、プロフィールに書かれていた経歴の意味が分かります。
志鎌さんはインタビューの後半、こんなことを言われていました。
私の究極の理想は、パソコン一つで旅をしながら、仕事をすること。前世は遊牧民だったんじゃないかって思うくらい、出歩くのが好きで、豪華な家に住むとか、そんな野心は全然ない。
でも、昔は周りと同じように、大きな家を持って、いい車に乗ってというのが“成功”だと思っていた。
そういう“成功”のイメージが根底にあるうちは、苦しかったな。
人の夢や理想に乗っかることは簡単だけれど、キツイ。自分の夢に向き合い、信念を貫くことは、難しいけれど、しあわせにつながる確かな道なのでしょうね。
フリーランスとしても13年弱経ち、会社にしてもおかしくない収入を生み出しながらも、「今は、会社にする必要性は感じていない」ときっぱり言い切った志鎌さんからは、ぶれない軸を感じました。
嫌々行った名古屋で、新たな出会い!
妊娠8か月で社長の座を他の人に正式に引き渡したあとは、子供が1歳になるまで仕事を休み、その後、少しずつ仕事を再開したそうです。
始めは「フリーデザイナー募集」という広告を出しているところに面接に行き、仕事をもらっていた。子どもを一時保育に預けたり、ファミリーサポートに頼んだりしながら。
で、ある程度安定した収入が見込めるようになってきたから、そろそろ子供をフルタイムで保育園に預けて働こうと考え始め、実際に4月から預ける保育園も決めた。
しかし、そんなとき、事件が起こります! 旦那さんに名古屋行きの辞令が出たのです。
しばらくは、夫に単身赴任してもらうか、一緒に行くかで、もめた。
もう、保育園も決めたのに。抱えている仕事もあるし、名古屋に今から行って、保育園見つかるの? 私の仕事はどうなるの? って、結構、そのときは荒れた(笑)
でも旦那さんの両親の薦めもあって、家族で名古屋に移ることに決めます。そして、奇跡的に、家から一番近い保育園に空きが出て、子供も無事、保育園に入れることになりました。
名古屋に引っ越してからも、志鎌さんは市川市時代からの仕事を続けていましたが、名古屋でも仕事を開拓しようと、フリーデザイナーを募集していた会社にも行ったそうです。
そこでまた、新たな出会いがありました。
その会社の人が「これからはSEOだ」ということを教えてくれたのだそうです。
SEO対策というのは、googleなどで検索の上位に表示させるように、キーワードを考えたり、サイトのデザインを変えたりする対策全般を言います。
今でこそ、WEBに関わるほとんどの人が「SEO」という言葉を知っていると思いますが、当時はほとんどSEOについて考える人はいなかったそうです。
少し勉強して、自分のサイトを直したら、すぐに“名古屋 WEBデザイナー”で上位表示されるようになった。それで実際、問い合わせの数が急速に増えた。
これからはSEOだと思った。
お客さんのサイトもきちんとSEO対策をしてリニューアルしたら、一気にお客さんが増えて、喜ばれた。
それまでは下請けの仕事が主だったから、この頃、自分のサイトから直接仕事を依頼されるようになって初めて、お客さんの感謝の声が直接聞けるようになった。
それから、下請けから脱却しようと気持ちも変わったし、いい転機になった。
そうやって自身のサイトから仕事を獲れるようになり、「人脈ゼロのところからでも自分はやれる」という自信が生まれたそうです。
だから、名古屋から市川市に戻るときには、名古屋に行くときのような不安はもうなかったといいます。
これまでにも長くWEBの仕事をしていたけれど、本当の意味で、WEBのすごさを感じたのは、この頃だったかもしれない。
そこで自分自身が実感したネットのすごさを多くの人に実感してもらうために、今は仕事をしているようなもの。
志鎌さんのshikama.netのミッションは、「ネットを通して、一つでも多くの 『良い出会い』を創出する」ことだとサイトにも書いてありますが、それが口先だけではない、志鎌さん本人の経験から出た想いだというのが、素敵だなと感じました。
次なる出会いは「Jimdo(ジンドゥー)」
名古屋で4年過ごし、市川市に戻ってきた志鎌さんが次に出会ったのは「Jimdo」でした。
Jimdoというのは、簡単にホームページを作れる仕組みです。
私はこのブログをwordpressという仕組みで作っているのですが、それ以上に簡単に、「ワードが使える人なら、使える」というレベルで、ホームページが立ち上げられる仕組みだそうです。
WEB制作の同業者の中には、そんな「誰でも簡単にサイトが作れる」などというシステムが広まったら、自分の仕事がなくなるという危機感を持つ人も多かったそうですが、志鎌さんは違いました。
WEBを一からしっかり作ろうと思うと、どうしてもある程度の料金が必要になる。それで、見積もりを出して、断られることがある。
そういうとき、お役にたてなくて、すみません、という気持ちになっていた。
でも、こういうJimdoのような仕組みがあれば、見積額が高くて払えないというお客さんに紹介することができていいな、と最初に思った。
この、「自分の仕事を守る」という考えから入るか、「お客さんの役に立つ」という考えから入るかで、行動が変わります。そして、行動が変われば、結果も変わります。
試しに自分のサービスメニューもJimdoで作ってみた志鎌さんは、本当に短期間でサイトが作れ、しかもそのサイトから問い合わせをもらうという経験をします。つまり、SEO対策もしっかりできるシステムだったのです。
そこで志鎌さんは、「本当にこの仕組みは素晴らしい」という自分の実感を元に、動き始めます。Jimdoをただ人に紹介するだけではなく、デザインのカスタマイズをするサービスを始めたのです。
このサービスがヒットしました。
Jimdoをサービスメニューに加えてから、お金をもらってサイトを作ったのに、さらに感謝の気持ちだと食事をごちそうになったり、本当に今まで以上に感謝してもらえるようになった。
と、仕事の手ごたえも感じ、さらにJimdoの日本版の運営をしているKDDIウェブコミュニケーションズからも声を掛けられ、日本で3社だけの「Jimdo Expert」に任命されます。
そして、Jimdo Expertになったのをきっかけに、さらに仕事が広がり、出版が決まったり、中小企業基盤整備機構の販路開拓支援アドバイザーに就任し、全国で「小規模事業主がWEBを活用することの可能性」について講演して回るようになったりします。
志鎌さんのすごいところは、「ホームページ」「SEO」「Jimdo」と、周りの人がすごさに気づく前に敏感にその可能性を感じ取り、自分のものにすべく努力をしているところだと思います(本人は、「楽しくてやっている」だけで「努力」とは意識していないところが、またすごい!)。
先見の明がある人というのはいるのですね。羨ましい~。
新しいものに出会ったとき、それを光り輝く可能性があるものとして見られるかどうかは、その人が持っている素直さとか、心の開き具合に影響されるように感じます。
手放すから、入ってくる。そして、次のステージに行ける
そうやって今は、WEB全体のコンサルや、WEBの可能性に多くの人に気づいてもらうための講師活動に力を入れている志鎌さんですが、そこに至るまでに悩んだ時期もあったそうです。
私も始めは、WEBのコンサル(ディレクション)から、デザインから、コーディングから、全部を一人でやっていた。
でも名古屋にいた頃、一度体調を崩して、どうしても全部を一人でこなせなくなった。それで、コーディングの部分を知り合いにお願いしてみた。そうしたら非常に効率よく仕事が進んだ。
それで体調が戻ったあとにじっくり、デザインかコーディングか、どちらかをやめるならどちらだろうと考え、コーディングは思い切って、手放すことにした。
今は、雇用しているわけではないけれど、外注という形で、コーディングの仕事は全部、人に任せることにしている。
そして市川市に戻ってきてから、案件が増えて、本当に回らなくなったとき、ついにデザインも手放すことに決めた。
もともとWEBの仕事は、デザインがしたくて始めたようなものだったし、デザインをなくしたら自分に何が残るんだという不安はあった。でも、手放してみたら、他のものがちゃんと入ってきた。
今はコンサル(ディレクション)と講師の仕事メインで、充実して仕事ができている。
なるほど。「手放せば、その分、入ってくる」というのはよく聞く言葉ですが、実行するのには勇気がいりますよね。
でも志鎌さんはこんなことも言われていました。
WEBの世界でフリーで働く人の多くが、そこでみんな悩む。
それぞれの価値観があっていいと思うけれど、私はコーディングとデザインを手放したことで、ステージが変わり、今までとは違うものを見られるようになったと感じたから、手放して良かったと思う。
色々考えさせられる言葉です。
フリーランスとして働くために大切なことは?
最後に、志鎌さんにも、「フリーランスとして働くために大切だと思うことは何ですか?」と訊いてみました。その答えは……
健康と体力。
目の前の一つ一つのことを大事にすること。
そして、大事なのは、自分が本当にしたいことは何か、何をするとしあわせかを明確にすること。
フリーで仕事をする場合、個人のキャラクターが仕事に反映する。だから、自分との対話が大切。
いくらお金をたくさんもらえても、合わないお客さんの仕事ばかりしていたら、つまらない。それより、ちょっと金額は下がっても、“この人を応援したい”と思える人の仕事をする方が、お互いにとってしあわせ。
だから、こういう人・企業を応援する仕事をするとか、基準を持つことも大切。
そういう人と、選んで、選ばれる関係になる。選ぶだけで、選ばれなかったら、ダメだけど(笑)
そうですね。なるほど。
きっとこれは、「昔は周りと同じように、大きな家を持って、いい車に乗ってというのが“成功”だと思っていた。そういう“成功”のイメージが根底にあるうちは、苦しかった」という言葉にもつながることなのでしょうね。
志鎌さんは、独立してすぐの雇われ社長の時期には、お客さんが大企業ばかりだったのもあり、それなりの収入があったそうですが、フリーランスになると、がくっと収入が減り、「1年目と同じ収入を得られるようになるまでに、7年くらいかかった」と言われていました。
でも、フリーランスになって13年目ということは、すでに雇われ社長時代の収入をかなり超えることができているのではないかと思われます。しかも、自分が選んだ、ディレクションと講師の仕事を主にしながら。
そうやって、自分自身の価値観を明確にし、潔く、手放すものを手放せれば、時間はかかっても最終的には、いい結果につながるのでしょうね。
志鎌さんの生き方、働き方からは、そんな「本当の成功の秘訣」を学びました。
お忙しいなか、色々お話を聞かせて頂き、ありがとうございました。
志鎌さんの主宰する「shikama.net」
志鎌さんは、きちんと結果の出る「集客できるWebデザイン」を得意とされています。
お店のホームページが欲しい、もっと集客できるサイトに変えたいという方は問い合わせてみてくださいね。
市川市を拠点に活動されていますが、日本全国広くお客さんをお持ちですし、講師としても全国を渡り歩いていらっしゃる方なので、千葉県以外の方も、是非つながってみてください。
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