今日は素敵な仕事人として、Accessシステム&webデザイン工房つむぎ代表の田川恵子さんを紹介します。
田川さんは、中小企業に必要なシステムをAccessで作ることと、web制作を主な仕事にされていますが、今はそれと同時に、「地域のために何かしたい」という人のサポートにも力を入れられている素敵な仕事人です。
田川さんは、Accessもwebも、相手の要望と自分のスキルをつむぎあわせて作るものだという想いから、屋号にも「つむぎ」と入れられているのですが、最近、地域との関係、人と人との関係を結ぶお手伝いもされていて、「つむぎすと」という肩書で活動されています。
そんな、「つむぎすと」の田川さんからは、等身大で働くことの大切さを教えてもらいました。
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「私らしく生きていい」と思えたのは25,6歳のときだった
今の田川さんに会った人は、きっと皆、「やりたいことをまっすぐ貫いている、元気で、明るくて、パワフルな人」という印象を持つと思います。
私も1年ほど前からの知り合いなので、そんな田川さんしか知らないのですが、田川さんいわく、昔はそうではなかった、とのこと。
両親があまり仲が良くなかったのもあって、人間不信みたいなところがあった。
それで、対人関係に自信がなくて、学生時代はいじめられたりもしたし、狭いコミュニティーのなかで人のことを常に意識しながら生きることにストレスを感じて生きていた。親に逆らってまで、自分の意見を通そうとも思わず、親が期待する通りに地元の短大に通い、卒業したら事務職として就職した。そういうものだと思っていた。
でも、仕事にやりがいは感じられなかったし、やはり狭い社会のなかでの対人関係のストレスもあって、決して楽しくは働いていなかった。
やりたいことをやっているエネルギッシュな人は、持って生まれたものが違うのだろうと思いがちですが、必ずしもそうではないのですね。
ただそのあと田川さんは、変われたきっかけについて、こんなふうに話されていました。
子供の頃にいじめられていても、大人になったらもっと幸せになってみせる、と思っていた。
最初の会社できついと感じても、マイナスには考えなかった。
だからそのときも、“環境を変えてみたらどうなるのだろう?”と考えて、実際に、転職した。それが大きかった。
そうやって、親の期待どおりの人生から一歩自分の足で踏み出したことで、田川さんは“新しく生まれ変われたよう”に感じたそうです。
しんどくても一つの場所で頑張ったからこそ、何か手に入れられたという人もいるとは思いますが、自分の感覚が「ここは自分の居場所ではない」と言っているのなら、思い切って環境を変えるのも大切ですよね。
くもの糸で引き上げてくれたのは、夫
そして転職して少し経った頃、前の会社の同僚が、知り合いの男性を紹介してくれたそうです。それが、今の旦那さんです。
田川さんは、旦那さんに出会ったときに初めて、「私らしく生きていい」と本気で思え、「このときに、今のパーソナリティになった」そう。
つまり、エネルギッシュで、熱く、元気な「THE 大阪人」という感じの(←東京人の偏見かもしれませんが)キャラクターになったということですね。
そういう出会いって、あるところにはあるのですね~。でも、もしかしたら田川さんが自ら「転職」という一歩を踏み出したからこそ、出会えた人なのかもしれないな、とも思いました。
旦那さんは、両親とも非常に仲が良く、「このなかで育ってきた人なら間違いない」と思ったそう。そして、田川さんはこうも言われていました。
人間関係でもがいているなか、くもの糸を上から垂らして、自分を引き上げてくれた人だと思っている。
結婚して20年以上経つ今も「夫のことは尊敬している」と言い切れる素敵な関係が続いていて、すごいな~、と思います。
Accessはまさに扉を開いてくれる鍵だった
それまでは、人間関係の悩みにエネルギーの多くをとられていた状態だったのが、旦那さんとの出会いで人間関係の不安がなくなり、私は私らしく生きていい、と思ったとき、
「私が本当にしたいことって何なのだろう?」
と初めて考えたという田川さん。
インテリアの勉強をしたり、色々始めてみたそうですが、そのなかで一番興味を持ったのが「初級シスアド」というIT系の資格の勉強だったそうです。
今まで分からなかったITの言葉が分かるようになること、データベースを構築することに関心が高まり、本格的にAccessの勉強も始めます(Accessというのは、excelをもっと高度にしたようなMicrosoftのソフトです。文系の仕事をしていると、滅多に接点がないですが……)。
そして、子供が小学校に上がるのを機に、システム系の職に初めて転職します。といっても、最初はIT系の会社ではなく、物流会社の「システム担当」の仕事でした。
面接では「Accessは勉強中」と正直に伝えたのに、「でも、システム、作れるんでしょ?」と言われ、「はったりでも作らなくてはいけない」という状況になったそうです。
でも、ここで田川さんらしさが発揮され始めます。
田川さんは、Accessを教えてもらった先生に連絡し、個別に教えてもらえるように頼みます。そして、職場では本などを頼りに試行錯誤し、分からなかったところをその先生のところに持って行って教えてもらう、ということを繰り返します。
そして、「知っている人をとにかく頼って、どうにか作り上げた」そう。
この、一人で全部を抱えず、人に上手く頼って、やりたいことを完成させるという姿勢は、今の田川さんの仕事のしかたの原点のように感じました。
また、システムが完成したときの喜びを、田川さんはこう表現されていました。
ボタンを押すと、パッと次の画面が出る。
そのとき、“あぁ、これが私のやりたかったことだ”と思った。Accessのショートカットのイラストは鍵のマークなのだけれど、まさにAccessは私の人生の扉の鍵を開けてくれた存在だった。
小説を読むのが好きだという田川さんの表現は、時々とても文学的で、素敵です。
独立したのは、直感でひらめいた感じ
そうやって、一つシステムが完成すると、「じゃあ、次は倉庫管理のシステムを……」「次は配車のシステムを……」と次々頼まれ、5年ほど物流会社で働いたそうです。
田川さんはその時のことを
「現場で一緒に作っていく楽しさをそこで知った」
と言われていました。
そのあと、IT系の会社に転職しますが、そこは大手の下請けでシステムを作っている会社で、お客さんの顔も見えず、田川さんとしては、やりたいこととずれている感じを覚えたと言います。
そして、「どうやったら自分のやりたいようにできるかな……」と、旅行中に考えていて、ふと思いついたのが、
「自分でやるしかないか」
ということだったそう。そして、独立し、フリーランスで仕事を始めます。
このときは、「直感でひらめいた感じ」で、あまり深く考えて出した答えではなかったということですが、物流会社で「発注側」の、IT系の会社で「受注側」の気持ちが分かったし、元々は畑違いのところから来ているから、「分からない人の分からない気持ちが分かる」という強みが自分にはある、いうことは感じていたそうです。
田川さんは、ばーっと話したいことを勢いよく話しているようでいて、あとでメモを読み返してこの原稿をまとめてみると、「ちゃんと順序立てて、重要なところを分かって話されていたんだな」ということが見えてきました(私は、あとでじっくり考えるタイプで、その場では、ぼんやりしているように見えるかも……(^_^;))。
システムに強い人というのは、そういう論理的な頭の良さがあるのでしょうね。羨ましい~。
フリーになって、想うこと
Accessのシステム作りで独立した田川さんですが、その後、デジタルハリウッドでWEBの技術も学び始めます。
そこの卒業制作で知り合いの美容室のWEBを作ったところ好評で、さらにその知り合いの美容室のサイトも作ることになり、徐々にwebの仕事も広がっていったそうです。
そして、フリーになってすぐは扶養控除の範囲内で主婦の副業的にやっていたけれど、それではいけないと、開業届を出し、商工会議所と中小企業家同友会に入るということをいっぺんにします。
ただ、そこまでした今のレベルが「自分の身の丈」であって、今以上に手を広げたり、人を雇ったり、会社の形にしたりするということはしない、と断言されていました。
人を雇うと、やはり給料を支払う必要が出てきます。そうすると、「人を雇うための仕事」をせざるを得なくなるかもしれない、それは嫌だ、というポリシーだそうです。
独立しても、「個人事業主より、会社にした方がすごい」「〇人雇っているから、あの人は成功者だ」みたいな価値観に縛られてしまう人もいますが、せっかくフリーになったのなら、そんな世の中の価値観からも自由でいたいですよね。
田川さんはこうも言われていました。
私は自分らしく生きたいと思う。
そのために、一番大事なのは、家族。
家族が自分のホームであり、土壌。まずそこ(家族)が笑顔でないと、人を笑顔にする仕事なんてできないと思う。
起業するというと、家族も生活もすべてを犠牲にして、仕事一筋に生きないといけないというイメージを持っている人も多いかもしれないけれど、“身の丈にあった起業”というのも、ありだと思う。
家族を一番大切にして、自分らしい生き方を貫く起業というのも可能だと、若い人にも伝えたい。
素敵な言葉♪
私も社労士としての開業準備をしていた頃は、「年収2000万円が目標」とか「最低でも時給1万円で働けるようになれ」とか「人を雇って法人化するのが成功者だ」とか、様々な刷り込みをされましたが、少しして気づいたのは、「私は、そんなこと望んでいるんだろうか?」ということでした。
稼ぐ金額とか、事業の規模ではなく、その人や周りの人の笑顔の量で「成功」の度合いを測る価値観が、もっと浸透すればいいな、と思います。
人と人をつなげて、地域活性も
ただ、人を雇うつもりはないという田川さんですが、Accessは専門にしている人が少ないことから、「次世代を育てていきたい」という気持ちは強いそうです。
また、webの仕事は、システムだけではなく、全体のプロデュースやデザイン、文章の執筆や写真など様々な要素が絡んできます。それもあって、「できるだけ色々な人と組んでやっていきたい」と。
で、そんな「色々な人と人をつなげて、新しいものを作っていく」という活動が、最近は、webだけではなく、他のものにも広がっているということでした。
そのひとつが、この写真のぶどうシロップです。
大阪の郊外の交野という場所のぶどう農園で作られたものです。
元々はそのぶどう農家さん(田中ぶどう園)からサイト作成の相談を受けた縁だったそうですが、「ぶどうを販売する時期は限られているし、なにか他の時期にも売れるものがあったらいいですね」という話から、くだものの加工をしている会社や、クリエイティブディレクターやデザイナー、趣味ながら写真が上手な人などを様々巻き込んで、このようなシロップやぶどう酢を作って販売することになったという経緯だとか。
そこまででも、自分の仕事が「web制作だ」と範囲を決めていたら広がらなかった話なわけで、すごいな、と思うのですが、さらにすごいのは、これはただその1つのぶどう農家さんの話ではなく、実は「地域活性」の仕事なのだということです。
ぶどう栽培の仕事は、ぶどうの棚が低いので重労働で、高齢化が進み、どんどん土地も売られ、交野の神宮寺では古くからの風景がなくなっていっているという現状があり、ぶどうシロップやぶどう酢の販売は、その傾向に一石を投じるためのプロジェクトだとか(「神宮寺ぶどうプロジェクト」)。
紙のラベルには「田中ぶどう園」という文字があるのですが、ボトル自体には「ぶどう甘」「ぶどう酢」という文字と、交野の風景をイメージした絵柄があるだけで、
「このラベルの文字さえ替えれば、他の農園でも使えるようなデザインにしている」
のだそう。言われてみれば、確かに! それもまた、素敵ですね。
つむぎすと
田川さんとは、大阪に行った際に会って、インタビューさせて頂いたのですが、インタビューの後は、クリエイティブディレクターの甲斐健さんのセミナーにも参加させてもらいました。
甲斐さんは、前述の「神宮寺ぶどうプロジェクト」でボトルやパンフレットのデザインなどの方向性を決めるような重要な役割を担っている方です。
アサツー ディ・ケイというメジャーな広告代理店で、「あぁ、あのCM」と分かるようなCMを何本も作られた経歴を持ちながら、数年前にお父様の介護のために地元、交野市に戻り、今は交野市に市民大学を作ったり、地域活性のための仕事(ボランティアの部分もかなり多いようですが)に力を入れられている素敵な方です。
パワーポイントのスライドを使いながらのセミナーでしたが、各スライド、20文字もないような本当にシンプルなもので、これがコピーライターの仕事かぁ、と納得のセンスの良さでした。
で、ちょっと脱線したのですが、田川さんの肩書「つむぎすと」は、その甲斐さんに命名してもらったものだとのこと。
名刺やパンフレットも甲斐さんプロデュースらしく、格好いい!
そんなふうに、元々はAccessのシステム作りやwebの仕事で、自分の仕事とお客さんのニーズをつむぎあわせてシステムなりwebを作ってきた田川さんですが、今後は、人と人をどんどんつむぎ、さらにもっと大きなものも、つむいでいきそうです。
わざとつなごうと思っているわけじゃないけれど、この人とこの人をつなげたら面白いかも、と思いつく。
ただ会うだけじゃなくて、付加価値が生まれるような出会いを作れたらいいな、と思う。
と言う田川さんは、作家の森沢明夫さんのファンで、「もりちゃんを囲む会」という会に参加していて、そこで私も出会いました。で、その会にこの夏、イラストレーターの茶谷さんを連れてきてくださり、私は茶谷さんと知り合うことができました(で、前回のインタビューの記事が生まれました)。
今回の大阪でも、甲斐さんだけでなく、他にも素敵な方を紹介してくださり、また大阪に行きたいな、という気持ちになりました。さすが「つむぎすと」!
フリーでやっていくのに大切なことは?
そんな田川さんにもお決まりの「フリーでやっていくのに大切だと思うことはなんですか?」という質問をしてみました。その答えは……
私の場合だけど、
・家族から応援してもらうこと
・人の縁
・健康
の3つかな。この3つがそろうと、笑顔が提供できるし、感謝が生まれる。
あとは、思ったことは、まずやってみること。
そうやって自分の心のままに進んで、自分で選んだことに自分で責任を持つこと。
確かにそうだな、と思います。
そして田川さんはこんなことも言われていました。
フリーになって、狭い社会の人間関係のストレスがなくなったのは、本当に良かった。
今は、人のことを気にしなくていい。そのときに感じた感性のまま生きられる。
そのときそのときの心の声に従って生きると、(行き当たりばったりのように見えながらも)いつの間にかちゃんとストーリーができあがっている。
この言葉も素敵ですね。
ジョゼフ・キャンベルが『神話の力』で書いていたこんな言葉にも通ずるものがありますね。
ある程度歳をとり人生を振り返ってみると、そこにはひとつの秩序があるように見える。
まるで誰かの手で構成されたかのようだ。
ただ偶然に起きたように見えた出来事も、実は次の展開のために重要な要素だったことがあとになって分かる。
この筋書きは一体誰が作ったのだろうか。
でも、こうやって、偶然をつなぎ合わせて、1つの素敵なストーリーにするためには、人の目を気にせず、自分の感性を信じ進むことも大切なのかもしれません。
きっと田川さんはこれからも、「あ、この人とこの人、合いそう」と感性で思った人をビジネス関係なくつなげていき、もっともっと大きなものをつむいでいくのだろうと思います。
これからの活動の広がりも楽しみです!
是非いつか、私もその活動にまきこんでくださいね♪
◆田川さんの「Accessシステム&Webデザイン工房 つむぎ」サイト
今は案件が集中していて、新規案件は来年1月以降スタートになるそうですが、予約はできるそうです。
◆田川さんがつむいだ「神宮寺ぶどうプロジェクト」
◆是非、他の素敵な仕事人インタビューもお読みください!
→ 素敵な仕事人の定義と一覧