昨日の朝刊は1面に大きく「ノーベル賞受賞」の文字が躍っていました。
私は理系分野のことはよく分かりませんが、日本人の「地道な研究」が評価されるのは嬉しいことですね。
新聞の記事を読んでも、テレビで会見の言葉を聞いても、大隅教授の言葉からは、「すぐに出る結果だけを追い求めないこと」「周りに流されず、自分の興味をとことん追い求めること」の大切さを感じました。
大隅教授に限らず、最近のノーベル賞受賞者の多くが、すぐに結果が出る研究を重視する傾向に警鐘を鳴らしているように思います。
これは実は、理系分野の研究の話に限ったことではなく、どんなことにも言えるのかもしれません。
もともと開墾された農地に作物を植えれば、すぐに収穫できますが、新たな土地を開墾しなくては、新しい可能性は広がりません。そして、新たな土地を開墾するには、それなりの時間と労力がかかるものです。
そのことをおろそかにしちゃいけないな、と。
自分の心の赴くまま
ただ、テレビで見た会見で大隅教授が言われていたのは、こんな言葉でした(※正確な言葉ではなく、流し聴いて、記憶に残っている言葉です)。
長年、努力を積み重ねてきた、と言われるが、自分はそんなに頑張ってきたという感じではない。
ただ自分が、なぜだろうと思った興味を探求してきただけ。自分の興味でやっていることだから、努力してきたという意識はあまりない。
それに、まだ自分の疑問は完全には解けていないから、何かを成し遂げたという感じもない
こういう言葉、結構しびれます。
大隅教授の研究は、元々、決して世の中の注目を浴びるようなメジャーなものではなく、周りにはもっと注目を浴びやすい研究テーマがごろごろしていたそう。
それでも、大隅教授は、時代の流れも、人からの評価も気にせず、ただ自分の心の赴くままに、一つの道を進んでいった。
こういう、自分の道を進んでいける強さにとても惹かれますし、そういう人がちゃんと評価され、脚光を浴びるのは、嬉しいことですね。
朝日新聞に載っていた、大隅教授の生徒の話もいいな、と思いました。
「何か面白いこと、あった?」
実験中、大隅さんに後ろからこう声を掛けられたことがある。
「ハッとしました。自分が思っていた結果でなくても、何か一つの現象に触れたら、それは発見なんだと気付かされた」
「人の役に立つ研究がしたい」は問題
朝日新聞にはまた、こんな大隅教授の学生に対する言葉も紹介されていました。
研究成果が数年単位で薬になるという短絡的な考え方はしないでほしい。
大学も余裕がなく、すぐ成果につながる研究を求め、学生も「人の役に立つ研究がしたい」と言う、という現状を説明したあとに書かれていた言葉です。
「人の役に立つ研究がしたい」という言葉は、一見、とてもいいことを言っているように思えますが、実は「すぐに成果に結びつく研究をしたい」ということなんですね。
ビジネスの世界では「数年後にお金になります」という単位でも、「数か月後にキャッシュを生み出さなくてどうする」みたいな話になりそうですが(私が知っているのが中小企業ばかりだからか……)、みんながそういう短絡的な見方しかできなければ、人類の発展はないのでしょうね。
こういう、「成果に結びつくかは分からないけれど、自分の心が必要としているから、ただ続けているんだ」という人の姿を知ると、私も短絡的な成果を求めたりせず、ただ淡々とこのブログを書きつづけよう、と、勇気づけられる気がします。
自分の心が、損得勘定ぬきで惹かれてしかたないこと、というのは、陽明学でいう「良知」の導きなのかもしれませんしね(「良知」の話は、下田さんのインタビュー参照!)
自分が不器用で、あまりビジネスの才覚がないからか、職人的なこだわりと、いい意味での盲目さ(周りの意見に流されないという)を持った人に惹かれます。