今日は素敵な仕事人として、大学教授&作曲家の小松正史さんを紹介したいと思います。
小松さんは、実はこのブログの記念すべき第1号の「素敵な仕事人」なのですが(「あえて「無目的」を大切にする:作曲家&大学教授 小松正史さん」参照)、インタビューはしたことがなかったので、改めて時間を作って頂き、これまでの経歴や今の仕事に辿り着いた経緯など、お話を伺いました。
小松さんは京都精華大学の教授で、お住まいも京都なのですが、ライブイベントや横浜国立大学との共同講義で頻繁に東京近郊にもいらしていて、私は5度目にして初めて京都で小松さんにお会いしました(私は小松さんの作曲&演奏したCDのファンで、関東限定の追いかけみたいなことをしているのです(笑))。
小松さんは、音環境に関する研究を専門にしているとはいえ、自身で作曲・演奏したピアノ曲のCDを制作し、頻繁にライブ活動をされていて、傍から見ると「え? どういうことなのだろう?」と疑問に思う点がたくさんあるのですが、だからこそ、やはり他の素敵な仕事人と同じく世の中の常識から自由な、オリジナリティーある魅力的な存在の方です。
そんな小松さんからも、周りに流されず、自分を貫く大切さを学べました。
Contents
ワークショップ形式の和気あいあいとした授業風景
今回、インタビューは京都精華大学で、お昼休みなどの空き時間にさせて頂いたのですが、その前後には、小松さんの授業に潜り込ませてもらいました(ま、そんな大人数のクラスでもないので、おばさんが混ざっているのは、ばればれでしたが(^_^;))。
小松さんの授業には2回出たことがあり(横浜国大との共同講義を横浜でされたときに2度、お邪魔しています)、ワークショップなども入れた、「音」との付き合い方全般についての講義だということは知っていたのですが、ホームグラウンドでの授業は、前2回に比べても、小松さん自身が生き生きしていて、とても楽しそうでした。
特に午前中の授業は、「鳴き龍」についてがテーマで、最初に少し講義をしたあとは、教室外に繰り出し、キャンパス内で「ここは面白い鳴き龍が聴けて、お薦めのスポット」「ここは、一番いい音が出る」など、小松さんがキャンパス内をガイドする、みたいな不思議な内容でした(鳴き龍というのは、手を叩くと、ビビビビとか、バリバリバリみたいに音が反響すること。右の写真は実際、鳴き龍が発生する階段)。
大学の授業といえば、大教室に詰めこまれ、なんだか小難しい机上の空論みたいなものを聴かされ続けていたイメージがある(私が通っていたのは、マンモス校ですからね……)のですが、それとは全然違って、学生も、「拍子木を叩くのではなくて、壁を直接叩いたらどう?」と試してみて、それに小松さんが「そんな発想はなかった。この音はしびれる~」と反応し、ちょっと離れたところにいる女子学生が隣の女子学生に「小松ティーチャー、かわいい」と囁いている、みたいな、ほほえましい風景でした(ちょっと斜に構えた感じの人も何人かはいましたが)。
授業で大切にしているのは、まず自分が楽しむこと
小松さんいわく、「今日のは特別盛り上がった」ということでしたが、でも、学生と教授がフラットな関係でやりとりされている姿は、羨ましかったですね。
で、その「鳴き龍」ですが、小松さんは授業のために良いスポットを探しているわけではなく、本人いわく「鳴き龍フェチ」で、新しい場所に行き、鳴き龍が出そうなところを見つけると、つい手を叩いちゃう、そうです。
そして「鳴き龍だけで3度メディアの取材を受けたことがある」とも言われていました。鳴き龍フェチって、ニッチですものね。
でも、小松さんが素敵なのは、別にそれを狙っているわけではなくて、「ただ自分はそれを好きだから、やっているだけ」という姿勢が色々なところに一貫して見えるところかな、と思います。計算のようなものを一切感じないんですよね。
そんな小松さんに、インタビューのときに、「授業をするときに大切にしていることは何ですか?」と訊いてみた答えはこうでした。
一期一会を大切にするということかな。
何かのご縁で集まった人なわけだから、それを大事にしようと思う。そして、やっている方が楽しむことを大切にしている。
ちょっとノリが悪い学生がいても、どう切り込んでいくのがいいか考える。
教えることに充実感を得たいと思っているから。そういう意味で、教えるというのはサービス業ではないと思う。
それよりはライブをやっている感じかな。
音の環境デザインとの出会い
小松さんは、
- 1993年 明治大学農学部(農業土木・緑地学専修)卒業
- 1996年 明治大学大学院院農学研究科博士前期課程(農業経済学専攻)修了
- 1998年 京都市立芸術大学大学院音楽研究科修士課程(作曲専攻)修了
- 2002年 大阪大学大学院工学研究科博士後期課程(環境工学専攻)修了・博士(工学)
……という学歴の方です。
明治大学ではランドスケープを専攻し、風景や庭のデザインを研究されていたそうですが、伊根町の舟屋がある風景について調べていたとき、ひとつの気づきがあったと言います。
それは、伊根町の風景が懐かしさを感じさせるのは、目で見る風景のためだという前提で考えられていたけれど、人の住んでいる息遣いを感じさせるのは、視覚よりもむしろ「音」であり、風景のデザインに「音」は欠かせないものではないか、ということでした。
そんな「音の環境デザイン」に興味を持ったことが、小松さんの今のキャリアにつながっていきます。
京都市立芸術大学大学院には、音の環境デザイン(サウンドスケープ)の専門家の先生がいたので、小松さんは明治大学を出たあと、その先生の元で民族音楽のフィールドワークを始めます(「作曲専攻」という形になっていますが、実際に「作曲」を学んだり、研究したわけではないそう)。
そして、大阪大学大学院工学研究科を修了の後、京都精華大学に公募で就職が決まります。そこでは「フィールドワーク」の専門家として講義を持ち始め、その後、准教授、教授となっていきます。
途中にランドスケープからサウンドスケープへの転向があったものの、順調にキャリアを築いていった感じです。
ただ、ここまで、「子どもの頃から音フェチだった」「小学生の頃からエレクトーンを弾いていた」という話はあったものの、作曲したり、人前で演奏していたという話は一切出てきませんでした。
環境が今の自分を作ってくれた
小松さんは、今でこそ、毎週のようにどこか地域のイベントからライブを頼まれたり、「うちの施設に合う音楽を作って欲しい」「映画のための曲を作って欲しい」と依頼されたりして忙しくされていますが、意外にも作曲したり、人前で演奏するようになったのは、30歳を過ぎてからだったそうです。
そしてきっかけは、京都精華大学で講義をするようになったことだったとか。
精華大では、学生が様々なイベントを企画して主催するというのが当たり前の風土だから、よく“なにか楽器、できないんですか?”“ライブに出てください”など学生から声を掛けられた。何度も声を掛けられるうちに、じゃあ、何かしようと思った。
作った音楽をCDにして販売したのは、「せっかく曲が12曲も作れたから、CDにしようか」と自ら動いたそうですが、作曲&演奏を始めたきっかけが、そんなふうに外からもたらされたものだったというのは、驚きでした。
でも小松さんは、「環境が今の自分を作った」とさらりと言われ、また、精華大に来たことで「表現することを一生の軸に据えることができた」とも話されていました。
小松さんはインタビューのなかで、何度も「ご縁だから」という言葉を使われていましたが、もらった縁を大切にして、その縁に自分が使ってもらうような意識で生きることが大切なのだな、ということを、小松さんの話からも感じることができました。
大切なのは直感
そしてもうひとつ、大事にしていることとして、こんなことも話してくださいました。
自分の直感を大切にする。
なにか嫌な感じにひっかかるときは、必ずひっかかる。
違和感を感じるときは、きっともう答えがその時点で出ている。
確かに、分かる気がします。
小松さんはそのあと、こうも言われていました。
僕は、“人のために……しましょう”というような意識では今まであまり生きてきていなくて、ただ自分の心が動いたように生きてきている。
どうしたらいいか答えが出るのに時間がかかるときは、たとえ他の人に先を越されても気にせず、自分が納得してから動く。人のことは、あまり考えない方がいいと思う。
はやりに乗らない。大多数が行く方向に行かない、ということは常に意識している。
たとえば、僕が作っている音楽は“背景の音”で、決してメジャーなものではない。だから始めの頃は“単調”とか批判する人もいた。でも気にせず、同じことを続けていたら、十年くらい経って、認められるようになってきた。今は、前のように僕のしていることを批判する人はいない。
だから、大事なのは、自分がいいと思うことを、しつこいぐらい、やり続けることだと思う。
直感が降りてきたとき、それを始めることはたやすいことかもしれません。でも、それをやり続けることには、かなりエネルギーが必要です。
そんなエネルギーのいることを、気張った感じなく、淡々とやり続けているところが、小松さんの格好良さなんだな、と改めて感じました。
「主体は自分」でやってきた
小松さんが最初のCD「The Scene」を出したのは2002年ですが、それから2009年までは2年に1枚くらいの制作頻度だったそうです。
最初の頃は、納得するまで作りこみ、「これはいい」と自分が自分を一番肯定するような気持ちで、自身が営業マンになってCDを売っていったとのこと。
「The Scene」は500枚作り、多くの学生や卒業生が購入していったそうですが、 当時からネットで情報発信を積極的に行っていたので、ネットから100枚以上売れたそう。すごいですね。
さらに最近の作品は、500枚では足りず、さらに500枚作ったりもしているそうですから、個人で作って、個人で宣伝して売るというレベルではだんだんなくなってきているのでしょうね。
(それでも、毎回、小松さんのサイトから「サインください」と備考欄に書いて申し込むと、ちゃんとサイン入りのCDが届き、感動なのです)
ただ、順調に音楽活動をされているように見える小松さんですが、2009年から2013年の4年くらいは自分の表現を冷静に見直すために、活動のスピードを抑えていたそうです。
その頃、ライブの依頼が増え、毎週のようにどこかで演奏していたそうですが、小松さんにお尻を向けて買い物している人がたくさんいるような環境で弾くこともあり、「自分はこのまま、こうやっていていいんだろうか」という迷いもあったそう。
そこで少し作曲と演奏から離れることを選択したということでした。
でもその4年のあいだに、小松さんは自身の研究分野であるフィールドワークの経験を生かして「環境音」と自分の音楽を融合させるという新しい試みに行きつきます。
これも先に書いた「どうしたらいいか答えが出るのに時間がかかるときは、たとえ他の人に先を越されても気にせず、自分が納得してから動く」という言葉の実践なのでしょうね。
一度動き出すと、立ち止まるのには勇気が必要ですが、立ち止まることで、手に入るものもあります。
そして、立ち止まることはあっても、やめずに「しつこいくらい、やり続ける」。難しいことですが、そうすることでしか、きっと、行きつけない境地があるのだろうな、ということを、小松さんの活動をそれなりに長く見つめてきて、思います。
置き逃げプロジェクト
そんなふうに、大学で学生に教え、研究をし、専門分野で本を出し、作曲&演奏をしてCDを作り、宣伝し、発送まで自身でし、さらに外から依頼されてライブで演奏をする……というだけでもすごいのですが、小松さんのもう一つ面白いところは、「この場所には、こんな音楽があったらいいな」と思うと、勝手に音楽を作り、「良ければ使ってください」と持って行く、という活動です。
小松さんは、それを「置き逃げプロジェクト」と名付けているそうです。
でも、そうやったことで、実際に京都タワーの展望室では小松さんの音楽がいつも流れていますし、マンガミュージアムや愛媛県にあるプラネタリウム(久万高原天体観測館)などでも小松さんの音楽が聴けるようになっています。
小松さんはインタビューの中で、
自分は営業とか苦手だと思っていたんだけれど、最近、高校訪問などをしなくてはいけなくなって、仕方ないからし始めたら、意外と、自分は営業に向いているかもしれないと気付いた。
と言われていましたが、「置き逃げプロジェクト」は、一番勇気がいる飛び込み営業ではないかと、個人的には思ってしまいました。
小松さんは、「力強さだけではなく、しなやかさが大事だと思う」と言われていましたが、まさに「しなやかな強さ」がある方だと思います。
たとえ営業して断られても、柳に風と受け流せそうな雰囲気があるというか……。
長く一つのことを続けていかれる人は、「力強い人」ではなく、「しなやかな人」なのかもしれないな、と改めて考えさせられました。
また小松さんはそんな自身の活動のことをこんなふうにも話されていました。
音楽を作って、ピアノ演奏するという自分の好きなことが、地域活性という社会貢献のためにどこまで使えるのか、その限界を確かめてみたいからしている。
“限界を確かめたいからする”という言葉は、なかなか言えない言葉ですよね。失敗を恐れ、小さくまとまっている人には決して思いつきもしない言葉です。
「好きなこと」にこだわり過ぎる人が多い
ただ、「好きなこと」をして、しあわせに生きているように見える小松さんですが、「好きなことを仕事にする」ことに対しては、意外にもシビアな意見を持っているようでした。
好きなことは仕事にはならない。
仕事になるのは、得意なこと。好きと得意が重なれば、しあわせなことだけれど、学生を見ていると、“好きなこと”にこだわりすぎている人が多いようにも思える。
好きなことだと、こだわり過ぎたり、優先順位が分からなくなったりしがちだから、“好き”だけで突っ走るのは危険。
学生にアドバイスするとしたら、職種にこだわらず、ご縁があるところがあったのなら、とりあえずやってみたらどう?と言いたい。
やってみないと分からないことは多いから。
好きだと思っていたことと、やってみて好きだと思えることは違うかもしれない。それに最初に好きではなかったことでも、やっているうちに得意にはなってくる。得意になると、好きにもなってくるもの。
ただ、努力してもどうしても合わないとか、ブラックな会社だったとか、緊急事態だったら、一か月もしないうちに辞めてもいいと思う。そういうときは、逃げ足の速さも大事。
日々、若い人に接している立場だからこその、リアリティに溢れる言葉だなと感じました。
自分の心を満たすには
そんな小松さんにも「自分の心を満たす方法は、何だと思いますか?」と訊いてみました。
高望みしないことかな。
ささいなことで満足できた方が、余計なことをしなくて済む。多くを望みすぎ、たとえば、物を欲しがると、お金がたくさんかかるから、たくさん稼がなくてはいけなくなるし、片づけや捨てるのも手間になる。
少しの物で満足できれば、もっとずっとシンプルになる。
なるほど~。確かに、満たされない想いがあるということは、望んでいる水準が満たされないくらい高いということなのかもしれませんね。
小松さんはそのあと、こんなことも言われていました。
僕は、欲がなくなってからの方が、仕事の依頼が増えた。
“もういいよ”と思うと、来る。
何なんだろうね。
今はかなり依頼が殺到しているようで、最後はちょっと苦笑気味でしたが、「欲がなくなると、来る」というのは、面白いなと感じました。
本当、自分の変なこだわりとか、欲が「ご縁」を邪魔するのかもしれませんね。
完全にフリーで働いている人とはまた違った視点から、多くの学びをくださった小松さん。お忙しいなか、時間を作っていただき、ありがとうございました!
素敵な時間を過ごせました♪
ちなみにこの原稿は、小松さんの「キョウトアンビエンス3」を聴きながら書きました(^_-)
大好きな小松さんの音楽。本当に、本当に、お薦めです。
是非、聴いてください!!
決して派手な音楽ではないのですが、その分、空間にすっと馴染む音楽で、私は勝手に「空気清浄機のような音楽」と呼んでいます。仕事や作業の邪魔にならない、目立たない音楽ながら、小松さんのCDをかけていると、面倒な仕事でも苛々せずにできる、みたいな効果があります(個人的な感想ですけど)。
◆小松さんのオフィシャルサイトでCDが購入できます。
http://www.nekomatsu.net/music-books/
◆京都近辺に住んでいらっしゃる方は、毎月のようにライブ演奏イベントをされているので、サイトでチェックしてみてください!
http://www.nekomatsu.net/information/
小松さんから学んだ「しあわせに生き・しあわせに働くヒント」
- 「やっている方(講師やサービスを提供する側)」がまず楽しむこと
- もらった縁を大切にして、その縁に自分が使ってもらうような意識で生きること
- 自分の直感や違和感を大切にすること
- どうしたらいいか答えが出るのに時間がかかるときは、たとえ他の人に先を越されても気にせず、自分が納得してから動くこと。
- 自分がいいと思うことを、しつこいくらいやり続けること。
- 心を満たすためには、高望みせず、足るを知ることも大事。少しの物で満足できるようになれば、人生がシンプルになる。
◆是非、他の素敵な仕事人インタビューもお読みください!
→ 素敵な仕事人の定義と一覧