※現在、Garage Coffee Shibuyaは閉店しています。山下さんは、コーヒー豆の卸しの仕事を今はメインでされているそうです。
今日は素敵な仕事人として、Garage Coffee Shibuyaの店長であり、バリスタの山下槙一郎さんをご紹介します(山下さんは、前回のMATEIの鎌田さんから紹介していただきました! ちなみに写真右の女性は、山下さんの奥さん「予定」の方!)。
山下さんは、高専を出てから会社に就職するも4年で退職し、「コーヒーの移動販売」を始め、そこから8年。今年になって渋谷に店を出すまでになった方です。
独立したのが25歳だったということで、今はまだ33歳の若さですが、8年間様々な経験をして来たからか、一つ一つの言葉に重みや深さがあり、話していてとても楽しい方でした。
渋谷bunkamuraのすぐ脇にある、とてもお洒落なお店です(住所は渋谷区円山町1-1 HOTEL EN)。
bunkamuraの近くに行かれた際には、是非、「素敵な仕事人のインタビュー見ましたよ」と、尋ねてみてくださいね。
Contents
会社を辞め、独立を決意
山下さんは高専を卒業した後、一般企業に就職し、「カメラ設計」部門で働きはじめます。
その会社は、組織のレベルが非常に高く、「すごい先輩」もたくさんいたということ。
しかし、そのようなレベルの高い企業に入って山下さんが感じたのは、「この組織で成功するということは、出世し続けるということ。出世し続けたら、部下も増えていく。そのとき、部下を守るような人になれるだろうか」ということだったそう。
入社してすぐ、管理職になる具体的なイメージを持てるというのは、すごいですね。
と、私は「すごいなぁ」とただ感心してしまいますが、山下さんは、優秀な人材がそろう組織のなかで、自分はすごい先輩たちのように、人間的、技術的に優れた人にはなれないのではないか、という気持ちが湧いてきたといいます。
そして、「転職することもできたと思うけれど、転職しても、また同じようなことが起こるだけだと思った」という理由で、すぐに「独立」することを考えたそうです。
独立してからの2年間はきつかった
でも、独立すると考えたとき、なぜ急に「コーヒーの移動販売」だったのだろう、と不思議に思い、訊いてみました。
「近くに、フランチャイズでコーヒーの移動販売をしている人がいて、かっこいいなと思ったし、自分にもやれるんじゃないかと思った」
私はてっきり昔からコーヒーが好きで好きで……ということなのかと思っていましたが、「始めた頃は、カプチーノが何かさえ分かっていなかった」というレベルだったそうです。
このとき、まだ山下さんは25歳ですから、若さゆえの勢いがあったのかもしれませんね。山下さん自身も、
ここで失敗してもいいんじゃない?
まだやり直しがきくんじゃない?
という気持ちがあった。
と話されていました。
色々な方の話を聞いてみて、この一歩を「えいやっ」で踏み出せるかどうかが、人生においては、結構重要なんじゃないかなと思います。
ただ、最初は郊外のショッピングセンターの駐車場を借りて移動販売を始めた山下さんですが、なかなか思うように売り上げは伸びず、その後、「オフィス街に出よう」と神谷町で路上販売を始めてからも、苦しい状況が続いたそうです。
最初の2年間は、本当、鳴かず飛ばずだった。
1日1食でしのいでいたこともあったし、それさえ行き詰って、昼間は移動販売をして、夜はアルバイトをするというキツイ生活をしていたこともあった。
本当に、苦労してこられたようです。
転機:路上販売からオフィスビル内での販売へ
しかし神谷町で路上販売をしているときに、神谷町のオフィスビル内でパン屋を運営していた オレンジ・アンド・パートナーズ(以下「ORANGE」と表記)という会社から声を掛けられます。
そして路上での販売から、オフィスビル内で「パンも売りながらコーヒーを売る」というスタイルで営業ができるようになったそうです。
山下さんのブログには、そのときのことを「ORANGEのSさん・Mさんに拾われた」と書かれていましたが、そこが山下さんの1つの転機だったのでしょう。
そのORANGEとの関わりのなかで、山下さんはバリスタ&コーヒー店の店長として5年ほど仕事を続けていくのですが、コーヒーの仕事に「物づくりの楽しさ」を見つけた山下さんは、最初は抽出にこだわり、それから豆、そして今度は焙煎にこだわりはじめます。
そして神谷町には焙煎機を置く場所がないという理由で、1階が店舗、2階が下宿になっている「昔の“住込みで働くシステム”のために建てられたような建物(in大森)」に住み、1階に焙煎機を置き、毎日3キロほどの焙煎済みのコーヒー豆を持って神谷町に通う生活を始めます。
自分で焙煎をしたほうが安いという現実的な理由もあるそうですが、大森から神谷町まで3キロの豆を持って毎日通うというのは、すごいですよね。やはりそこは、山下さんのこだわりだったのでしょう。
神谷町時代は、オフィスビルの中にお店があったのもあり、常連さんも多く、毎日そういう人たちと話すのが楽しかったそうです。
2度目の転機:神谷町から渋谷へ
しかし、山下さんは今年の6月にORANGEを離れ、自分で株式会社を作り、渋谷で店を始めます。
それもまた、コーヒー販売をしていたときの出会いがきっかけだったそうです。
3年くらい前から月に1回くらいの頻度で買いに来てくれる社長さんがいたんだけれど、その人が、今度新しく飲食部門を始めることに決まったから、一緒にやらないか、と声を掛けてくれて。
その人の持っていた物件がここだった。
そんな経緯で、渋谷bunkamuraのすぐそばの物件で店が開けるようになるなんて、素敵です。
(お店の中に、移動販売の車がそのまま!というインパクトのあるお店です)
しかも、今回の店は広さがあるので、焙煎機も自宅から店に移すことができ、毎日3キロの豆を持って通勤する必要もなくなったわけです。
山下さん自身は、「僕は運が良かったと思う。数年おきに、何かいい出会いがあって、引き上げられてもらっている」と話されていましたが、最近、色々な人の話を聞いていて私が思うのは、「運」というのは、決して偶然の産物ではないんじゃないかなということです。
どんな形でやってくるかは決められなくても、「幸運」を引き寄せるコツみたいなものはあるんじゃないか、と。
山下さんもこんなことを話してくださいました。
問題には、すぐに解決策を思いついて、実行できることと、できないことがある。
でも、寝かしておくことで問題が問題でなくなることもある。
果報は寝て待て、ってこともある。問題はとりあえず置いておいて、ただ毎日誠実に仕事をしていたら、外から解決策がやってくることもある。
この店のオーナーの社長は、3年くらい前から神谷町の店のお客さんだったけれど、最初から一緒に仕事をすることを想定しての出会いではまったくなかった。僕もこんな流れになるとは予想していなかったし、社長の方もそうだったと思う。
でも、その3年間、僕は僕なりに精一杯仕事をしていた。もしその社長がコーヒーを買いに来たときに1回でも僕が仕事を適当にしていたら、この話はなかっただろうと思う。
独立して良かったこと
山下さんは神谷町時代に多くのサラリーマンと友達になったからか、「独立している方が偉いとか、そんなことはまったく思わない」と言い、「なかなか白黒つけられないグレーな社会で頑張っているサラリーマンを陰で応援するような存在でありたい」とも話されていました。
でも、自分はフリーでやっていくのが向いている人間だとは確信しているようでした。
そのことを山下さんは、「責任の所在が明らかなところがいい」と表現していました。
会社に勤めていた頃は、設計で致命的なミスをしても、作っているのは中国の工場だから、謝りに行くこともできなかったそう。
でも今は、おいしいコーヒーを作って、お客さんに満足してもらえたら、また来てもらえる。失敗作を作ったら、もう来てくれなくなるかもしれない。そんな分かりやすいところがいい。
特に神谷町から渋谷に移ったことで、常連客の比率が下がり、観光客などがふらりと立ち寄ることが増えたそうですが、それを「一発勝負のプレッシャーがいい」とも言われていました。
いいものを作って、それで勝負していきたいという山下さんの職人魂のようなものが感じられる言葉です。
それからこんなことも話してくれました。
僕は最初、お金も場所もないから、店を出すのではなくて、車で移動販売をするということを選んだ。
そういうスモールスタート、スモールビジネスみたいなものが、もっと日本に増えてもいいと思う。その方が、チェーン店など大手ばかりの世の中より、暮らしやすい世の中になるんじゃないかな、って。
自分がそういうスモールビジネスの一つのモデルのようになれたらいい、とも思っている。
そんなふうに常に自分の身の回りのことだけではなく、社会全体を見つめる目のあるところが、山下さんの魅力のように感じました。
フリーで働くために大切なのは、続けていく覚悟
山下さんにも、「独立してフリーでやっていくために大切なことは何だと思いますか?」と訊いてみました。
その答えは……
「続けていくぞという覚悟かな」
ということ。
僕も最初の2年は本当、大変で、最初に続けていたのは意地みたいなものだったと思うけれど、でも、続けてきたから、ここまで来られた。
この8年のなかには、今日はもう店を開けたくないと思う日もたくさんあった。
でも、あの人が今日も僕のコーヒーを待ってくれていると思ったら、今日も店を開けようと思えた。
そういうお客さんに恵まれてきたのは、ありがたかった。以前、震災のボランティアに行ったとき、そこのリーダーが挨拶で“人はfor me で動いているときより、for you で動いているときの方が力を発揮できるということが学会でも発表されている。だから頑張りましょう”と言っていたけれど、本当にそうだと思う。
僕も大変な状況を色々経験したけれど、それで思うのは、困難に出会ったとき、乗り越えようという意志さえあれば、大抵のことは乗り越えられるということ。
乗り越えようという意志と、誠実さかな。
そしてこんなことも言われていました。
僕の最初の移動販売は、ORANGEに移ったことで、客観的に見たら“終わった”ということだったかもしれない。
今、渋谷に移ったことで、ORANGEにあった店も“終わった”と見られるかもしれない。
でも、自分にとって、僕のコーヒー人生はずっと終わらずに、続いている。もし店を初めて、その店が上手くいかなくて、結果として潰してしまうことになった人がいたとしても、そのつらかった経験とか、それまでに作ってきた人脈とかはなくならない。
だから、店をひとつ潰しても、それがその人にとっての“終わり”ではないとも思う。
なるほど。
山下さんのようにずっと1つの世界でやっていかれるのなら、それもいいですが、一つの業界での失敗を糧に違う世界に移って、またやっていくというのも、本人が「つながり」を意識できていたらいいということですね。
変わりたいけど変わるわけにはいかない人へのメッセージ
そんなふうに、山下さんには、「Aもいいけれど、Bもいいと思う」と広く色々なものや考え方を受け入れてくれる懐の深さを感じました。
それを特に感じたのは、「もし、仕事がつまらないと思ったり、今の人生に何か満たされないものを感じている人がいたら、どんなアドバイスをしますか?」という質問に対する山下さんの答えでした。
山下さんは、様々な場面を想定して、色々な答えをくださいました。
まずは、自分で解決できる“内側の問題”なのか、“外側の問題”なのかを考えてみる。
とか、
もし単純作業でつまらない、というなら、もっと効率的に仕事をする方法を考えて、単純作業以外の仕事もできる時間を作ってみたらいい。
とか、最初は現実的な解決策を考えてくれました(架空の話なのに、とても真剣に考えてくれる姿勢もまた、素敵でした)。
でも、最後に言われたこんな言葉が、特に心に残りました。
たとえば、営業職の人だった場合、売らないといけない商品が客観的に他社より劣っているから売れない、ということもあるはず。でもそれを、“お前がダメだから売れない”みたいに上司から言われたら、そりゃ、仕事がつまらないだろうと思う。
でも、子供を養うためにどうしてもこの仕事を続けないといけないとか、今は子供が小さいからこの時間帯のこの仕事しかできないとか、色々制約があって、変わりたいけど変わるわけにはいかない人もいる。
そういう人にアドバイスをするとしたら、「身近な人に“つらい”と言ってみていいんじゃない」ということかな。
そして、こんなことも話してくれました。
今は、子供を“守らなければいけない神聖なもの”みたいに思いすぎているように感じる。
でも、お母さんがキツイなら、“ママも大変なのよ”と子供に言っちゃってもいいと思う。
そうやって両親が弱音を吐けるようにしておいた方が、子供もつらいときにつらいと言いやすくなるだろうし。
山下さんは10歳のときにお父さんを亡くし、お母さんが山下さんを含め3人の子供を女手1つで育てられたそうです。そのため、「母は良くやってくれたと思うけれど、結構、放っておかれたところもあるかも」とのこと。
でもだからこそ、こんなふうにたくましく、自分の頭でしっかり考えられる人に山下さんが育ったのかもしれませんよね。
山下さんのお話からも、たくさん素敵なことを学び、感じることができました。
楽しい時間をありがとうございました!
※現在、Garage Coffee Shibuyaは閉店しています。山下さんは、コーヒー豆の卸しの仕事を今はメインでされているそうです。
★山下さんのブログ「カフェラテ日和」http://shinichiroymst.ldblog.jp/
あまり更新は頻繁ではないようですが、ORANGE時代から書かれているブログ。1つ1つの記事に山下さん独自の視点が感じられ、私には非常にツボな内容でした。是非、読んでみてください!
◆是非、他の素敵な仕事人インタビューもお読みください!
→ 素敵な仕事人の定義と一覧