「しあわせに自分らしく働いている“素敵な仕事人(起業家)”」の共通点から見えてきた、しあわせに働くヒントその2は、
「自分で自分に許可を出すこと」です。
行動に必要なのは、資格でも受賞歴でも、誰かのお墨付きでもない!
ということに、私は最近になってやっと気づきました。
これまでの私は、15年くらいずっと文学新人賞に応募し続け、「いつになったら私は小説家になれるんだろう。小説家になれたら、私の人生は変わるのに」と、誰かに文章を書いて生きていくための「許可」をもらうのを待っていました。
独立してなにかしようと思ったときに、まず資格を獲ろうと思ったのも、同じ思考の癖です。
でも、素敵な仕事人たちの生き方はそれとは真反対でした。
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いい曲が作れたと思ったら、CDにして販売しちゃえばいいんじゃない?
このブログで紹介している素敵な仕事人は20人ほどですが、一番最初に紹介しているのが、小松正史さんという方です。
★あえて「無目的」を大切にする:作曲家&大学教授 小松正史さん
小松さんの本業は、「音のフィールドワーク」を専門に研究・教育する大学教授です。
自然の音と人工音の波形の比較をしたり、環境音が人に及ぼす影響などを主に研究されていて(素人の私には、よくは理解できていませんが)、本業では専門書を複数出すような活躍をされています。
が、その一方で、京都タワーの展望室に合う音楽を作曲し、先日も七夕のイベントとして、展望室でピアノ演奏をするライブ活動などもされていました。
京都タワーだけではなく、京都の漫画ミュージアムや愛媛県にあるプラネタリウム(久万高原天体観測館)、箱根のポーラ美術館にも、その場にふさわしい楽曲の提供などをされています。
でも、もともと、小松さんは作曲家やピアニストを目指して専門的に勉強したわけではなく、15年ほど前には作曲も演奏もただの「趣味」だったそうです。
ただ、小松さんが他の人と違ったのは、「これはただの趣味だから」と一人ひっそり演奏して満足したり、「世に広めるために何か賞を獲らなくては」などと思わなかったということです。
小松さんはそう考える代わりに、せっかくいい曲ができたのだからCDにしてみようと思い、やり方もよく分からないまま、手探り状態で、とにかく形に仕上げます。
そうして最初のCDから14年経ち、その間に12作のCDを制作し、京都を中心に積極的にライブ活動も行い、確実にファンも、コラボする人も、CDを取り扱ってくれる店も増やしていかれています。
肩書なんて関係ない
私が小松さんに初めて会ったのは、今から11年ほど前、3枚目のCDを出した頃で、初めて東京でライブをしたときでした。
私は友達から「京都の知り合いがピアノのライブをするから聴きに行かない?」と言われ、よく分からないままに連れて行かれ、そして初めてその曲を聴いて、惚れ込んでしまいました。
でも当時は、自身で作曲している曲をピアノ演奏しているのだから、「作曲家&ピアニスト」なんだろう、くらいにしか思っていませんでした。
後日、他のCDを買って直接メールなどのやりとりをさせてもらったり、Facebookでつながらせてもらうなかで、本業は大学教授で、作曲や演奏は「趣味」からの派生なのだと知り、「すごい人なんだなぁ」と心から想い、さらにファンになりました。
私は勝手に「空気清浄器のような音楽」と呼んでいます。
作業をしているときにかかっていても気にならないけれど、確実に部屋の空気を良くしてくれるので。
http://www.nekomatsu.net/music-books/
誰かの評価や依頼などを待って時間を無駄にしない
今は、書籍はkindleなら誰でも出せる時代になっているようですし、CDも大手の流通に乗せようと思ったら大変だと思いますが、CDを作ること自体はお金さえ出せば、誰でもできます。楽曲のデータを配信するだけならそんなにハードルは高くないでしょう。
カウンセラーのさわとんも歌うのが好きで、NHKのど自慢に出たこともあるくらいなのだそうですが、あさってCDを発売するそうです!(セルフパートナーズ協会のために作った、自身が作詞した曲など、オリジナル曲ばかり集めたものです)
→ 詳細はさわとんのブログで
http://ameblo.jp/sawaton/entry-12178740860.html
そのさわとんの最初の書籍も、元は自身のうつ病の経験を8ページほどの小冊子にまとめて人に配っていたら、たまたま出版社の人の目にも留まり、正式に出版されることになったと言います。
ジャンボさんも、宅配の仕事の経験をまとめてkindle本を出しています。
「素敵な仕事人」は誰かの評価や依頼などを待って時間を無駄にしないのです。
いいコンテンツを持っていても、なにか光る才能を持っていても、それを外に自ら発信していかなければ、誰もそれに気づいてくれません。
逆に言えば、ほんの小さな一歩でもいいから踏み出せば、そこから「これ、いいね」と言ってくれる人が現れて、ちょっとずつ広まっていく可能性も高いわけです。
需要さえあれば、そこにいくらでも仕事など生まれる
私は、文学賞は佳作も含めると4つ頂き、書店で販売される冊子や雑誌や新聞に作品を載せてもらったことも複数回あります。
実は、さが大衆文学賞をもらったあと、その賞を獲っただけでプロの作家になっている人もいると出版社の人から聞きました。
でも、自分はダメだとどこかで決めつけていたし、「大きな、注目されるような賞を獲って、華々しくデビューするんだ」という想いがどこかにずっとあったような気がします。
けれどそれって、自分で自分に許可を出せず、だから人からの許可を待っていたということなのだろう、と今は思います。
そのことには、カメラマンのまーしーさんに会ったときにも、とても感じました。
私はそれまで写真を仕事にするためには、経験豊かなカメラマンの元で修業をするか、土門拳賞みたいな大きな賞を獲らないとダメなんじゃないかと、漠然と思っていました。
だから、
というまーしーさんの言葉は衝撃でした。
でも、考えてみれば当たり前です。需要さえあれば、そこにいくらでも仕事など生まれるのです。
その道に進むためのGOを出すのは、自分でしかない
賞については、ソプラノ歌手・竹林加寿子さんの言葉も印象的でした。
加寿子さんも一時期、経歴に「〇〇賞受賞」という権威のようなものが欲しいと思っていたことがあったそうです。
それで、1年ほど集中してコンクールを目指した時期があったとか。
その結果として、今もプロフィールに
第8回大阪国際音楽コンクール声楽部門入選
第9回日本演奏家コンクール特別賞受賞
という2行が書かれています。
この経歴は国内で受賞し、国際コンクールでは賞は取れずに入選だったということらしいのですが、そのことについて加寿子さんが言われていたことが心に残りました。
国内のコンクールで賞をもらったとき、私はこれで商品になったと思ったの。
国際コンクールで賞をもらう人というのは、確かに技術力が素晴らしい。
でも、国際コンクールで優勝するというのは、“商品”のなかでも“ブランド物”になるようなものだと思った。
例えば15万円の靴があるとして、その価値を分かって、それがどうしても欲しいという人もいるけれど、そういうブランド物を手に取れる人は限られている。
私は、もっと今までクラッシックに興味がなかった人にも音楽に触れてもらえるような活動をしたいと思っている。
だから、私が目指すのは国際コンクールでの優勝ではないなと思ったとき、賞への執着は完全に消えた。
かっこいい言葉だなと思いました。
まとめ:しあわせに自分らしく働くヒント2 自分で自分にGOを出せ!
自分の目指す方向がしっかり固まっているのなら、その道に進むためのGOを出すのは、自分でしかないのです。
あなたの待っている「GO」は、自分では出せないものですか?
「~がないから」「~を獲れたら」「~になったら」と思っているのなら、一度、本当にそれがないと先に進めないのか、考えてみてもいいかもしれませんね。
★しあわせに自分らしく働くヒント【3】に続く……