相模原の障害者施設で起きたひどい事件……。
「どうしてそうなってしまったのだろう……」というもやもやした想いが渦巻くだけで、こういう凄惨な事件が起きたとき、いうべき言葉がいつも上手く見つけられません。
どんなひどいことをする人であっても、自分がその人と同じ環境で生き、同じような経験をしてきたのなら、本当に同じことをしなかったのか、と、どこかで考えてしまうし……
報道されていることは、とても真実っぽく、そして限られた時間の報道であっても、容疑者の辿ってきた人生のエッセンスはしっかりと集め、伝えているといわんばかりだけれど、本当はそんなわけはなく、所詮、一般の人が知る情報など、ほんのわずかな一部なわけです。
一般の人だけではなく、本当は、作っているメディア側の持っている情報も。
(このあたり、湊かなえさんの「白ゆき姫殺人事件」は上手く描いています)
だから、そんな確かかも分からない情報だけで、物事をとやかく言う気にはなれないのですが、でも、だからといって、コメントを発表する人が誰もいなくていい、というわけでもないと思います。
意思の疎通ができなかったのは
そんな、なんとなく、もやもやしていた今朝、たまたまつけたテレビ(サンデー・ジャポン)で爆笑問題の太田さんが言っていた言葉は、「あぁ、なるほどな」とすっと心に入ってきました。
録画していたわけではないので、正確な言葉ではありませんが、太田さんはこんな感じのことを言っていました。
容疑者は、意思の疎通ができない障害者を刺したと言っているらしいけれど、意思の疎通ができなかったのは、お前の方じゃないのかって思う。
一瞬、「え? どういうこと?」と思う言葉ですが、そのあとに、その理由が語られます。
色々主張があって、手紙とかも出していたらしいけど、でもその言葉が届かないということは、意思の疎通ができていないということ。
たとえちゃんと言葉が話せない赤ちゃんだって、泣いたりして何か訴えていたら、周りの人は“この子は何が伝えたいんだろう”と推測しようとする。
そうやって、周りの人に“何を伝えたいんだろう”と思ってもらえるような人間関係を築けないなら、それは“意思の疎通ができる”人間じゃないってことだよ。
太田さんらしい、ちょっときつめの言葉でしたが、言っている内容はとてもいいな、と感じました。
かなり前に、このブログでも「伝わったことだけがコミュニケーションの成果」という心理学の言葉を紹介しました。
その記事では、相手に正確に伝わらなかったのなら、受け取る相手ではなく、あなたの伝え方に問題があるのかもしれませんよ、ということを書きました。
でも、相手に自分の要望なり想いを正確に伝えるためには、使う言葉うんぬんの前に、最低限の人間関係の素地が必要なのだということを、太田さんの言葉は改めて教えてくれたように思いました。
よく「何を言われたかより、誰に言われたかを人は重視する」とも言われます。
伝えるための技術(話し方とか文章の書き方とか)を学ぶのもいいですが、本当に必要なときに自分の想いを人に伝えたいのなら、やるべきことはスキルの習得ではなく、「人間力」磨きなのかもしれません。