自分で描く世界より その先が見たい:ソングレターアーティスト・安達充さん

安達充

今日は、素敵な仕事人として、ソングレターアーティストの安達充さんを紹介したいと思います。

素敵な仕事人インタビューの記念すべき10人目にふさわしい、とっても素敵な、自分の生きる指針を一貫して持っている格好いい方です。

YouTubeで300万回位以上視聴された「僕が生まれた時のこと-It was when I was born」を作った方でもあり、被災地支援コンサートの模様がNHKで取り上げられるような著名人でもあります。

安達さんは、作詞・作曲教室の講師もされており、カウンセラー(今は「シンガーソングアーティスト?」の道にも進みかけている)さわとんや、ソプラノ歌手・竹林加寿子さんにも教えられています。

ですから、安達さんにお会いする前から、2人に「本当に素敵な人」と聞いていたのですが、1時間ちょっとお話を聞いただけで、ものすごい人格者だなぁ、と心から尊敬の念が湧いてきました。

Contents

ソングレターアーティストって?

安達さんの名言をとっても書きたいのですが、でもまずは「ソングレターアーティストって何?」と感じている方が多いと思いますので、その説明からします。

ソングレターというのは、読んで字のごとく、歌の手紙です。

面と向かって相手に伝えるのは恥ずかしい愛の言葉や感謝の言葉などでも、歌になると口にでき、相手に伝えることができたりしますよね。

その歌の力をフルに使ったのがソングレターです。

といっても、なかなか普通の人にとって、作詞・作曲するというのはハードルが高いもの。

そこで安達さんが登場します。

たとえば結婚式で、たとえば誕生日のお祝いに、母の日や父の日のプレゼントに、子供が産まれた人への贈り物に……。

物ではなく、歌を贈りたいという人のために、安達さんは「その人の想いを音楽語に翻訳して歌にする」ことをされています。

翻訳という言葉、いいですよね。

曲や歌詞を作るのは安達さんでも、贈られるのは、贈り手の想いなのです。

「想いは最高のプレゼントだと思います。
 でも、形にしなければ、それはきっと伝わりません」

というのは、安達さんのサイトに書かれている言葉なのですが、確かにその通りです。

でも、直接口にして伝えるのは照れくさいし、手紙では上手く伝えられる自信がないし……というとき、本当、歌にするというのは、いいですよね。

そして、音楽の才能や技術がまったくない人でも、安達さんに頼めば、それが歌になってしまう。素敵です。

ソングレターに興味を持たれた方は、是非こちらのサイトをご覧くださいね!
→ http://www.song-letter.jp/

ソングレターアーティストになったきっかけ

安達さんが初めて、上手く伝えられない気持ちを歌にして伝えたのは、中2のとき、好きな女の子に告白するときだったそうです。

それから安達さんは、身近な人のために歌を作りつづけます。

大学時代は、サークルで毎月のように鍋をかこむ交流会があり、そこで新曲を披露するのが恒例になってもいました。サークルでは、安達さんはよく悩み相談をされるタイプで、交流会で披露するのは、そういった相手の悩みを汲んだ、相手を励ましたり、慰めたりする歌だったそうです。

でも、安達さんが「ソングレター」活動を始めたのは、社会人になってからでした。

中学3年生の少女がリストカット経験を綴った日記にインターネット上で触れ、「少しでも元気になってもらいたい」と自作の曲を贈りました。その想いが少女に届いたとき、安達さんは自分の音楽の力が人の為になるという実感を得たそうです。

技術がなければ人を喜ばせる音楽なんて出来ないと思っていました。
でも、違っていました。

大人数に支持されることは難しいかも知れないというだけで、目の前のたった一人のためになら、こんな自分でも出来ることはあるのだと知りました。

この気づきが、まずひとつ目の転機になります。

安達さんは一貫して「ミュージシャンではなく、アーティスト」と名乗っています。

それは、「ミュージシャンというのは、音楽家。音楽を楽しみ、音楽を楽しませる人。それに対して、アーティストというのは芸術家。音楽という芸を術(ツール)にして、人に想いを伝えたり、人を幸せにしたりする人」だと思っているからだそうです。

つまり、ミュージシャンは音楽が命だけれど、アーティストは、想いを伝えるとか、人を幸せにするのが命。だから、音楽の技術がとても優れていても、そうでなくてもいい、と。

そしてインタビューのあいだに何度も、「自分の音楽の技術は、プロレベルだとは思っていない」と言われていました。

でもそれは、決して自分を卑下している感じではなく、むしろ「自分はそういうところで勝負する気はない」と、自分のなかでのぶれない軸をしっかりと明言するような強さに感じました。

2度目の転機は、後輩の応援

安達充リストカットの少女に歌を届け、その後も出会った人に歌を贈りつづけていた安達さんですが、3年くらいは普通に仕事をしながら「ボランティア」でしていました。

でも、そこでプロのソングレターアーティストに生まれ変わるきっかけがありました。

それは、ドリプラの主宰者としても有名な福島正伸先生の「夢・実践会」に安達さんの大学の後輩Mさん(あの交流会のサークルの後輩だそうです)が参加したことでした。

「夢・実践会」というのは、「一人の力では叶えられない夢も、相互支援で皆が助け合えば叶う」という趣旨で行われている連続講座でした。50人の参加者のうち、1人の夢を49人でサポートして実現する。それを50回繰り返せば、全員の夢が叶うよね、という素敵な講座です。

10数万円の講座なので、ほとんど全員「自分の〇〇という夢を叶えたい」という想いで参加しています。でも、Mさんは違いました。Mさんの夢は、

「安達充を世に出すこと」

でした。

安達さんは当時、何も知らずに資格の学校で電話オペレーターの仕事をしていたそうですが、そんな、安達さん不在の場で、「ソングレターアーティスト・安達充の初仕事」が決まっていったそうです。

それが、あの朝礼で有名な居酒屋「てっぺん」のドキュメンタリーDVDブック「夢力(ゆめぢから)」の主題歌の作詞・作曲の仕事でした。

オープニング曲『声を嗄らして』もエンディング曲『はじまりの場所』も、とっても伝わってくる素敵な曲です。

安達さんのサイトで聴けますので、是非是非、聴いてください!
http://www.adachi-mitsuru.jp/category/discography

すべての人はアーティスト

その後も、福岡県の小学校の性教育の授業のために作って欲しいと言われ、元々は1回の授業のためだけに無償で作成した『僕が生まれた時のこと』という曲が、YouTubeで何百万回とアクセスされる人気曲になり(「曲もいいけど、コメント欄で泣ける」と評判の動画なので、是非、YouTubeのコメント欄も一緒に見てくださいね)、プレジデント社から母の日のプレゼント本という形で出版されたり、安達さんは順調に音楽を仕事にしていきます。

そして、安達さんは、自分が音楽を仕事にできているのは後輩Mさんや福島先生のお蔭だと、恩返しをしたり、恩送りをしたり、様々な活動もされています。

福島先生への感謝の気持ちで始めたのが、ドリプラの音楽づくりです。ドリプラは今年10回目だそうですが、安達さんは2回目のドリプラから、100人を超えるプレゼンターの10分間の発表に音楽をつけています。

そして、自分も音楽におけるドリプラのようなことがしたいと、昨年からアーティストフォーラムというものも立ち上げました。

これは、音楽歴やジャンルの全く違う7人が同じステージに立って、歌にのせて自分の想い(自分のテーマソング)を披露する場だそうです。

ジャンルが違う人が同じステージに立つというのは、たまにはあるけれど、まったく舞台に立ったことがないという人と、プロとして歌を歌っている人が同じステージに立つというのは普通あり得ない。

でも、僕はそこにこだわりたいと思っている。

と安達さんは話されていましたが、安達さんのこれまた一貫した想いとして「すべての人はアーティストだ」というのがあります。

音楽の技術の差はあっても、伝えたい想いに優劣はない。もっといえば、伝えたい想いを持ったすべての人(つまり世界のすべての人)には同じだけの価値がある、ということを、安達さんは徹底的に信じ、その想いを広めようとしているのです。

専業じゃない方がアーティストっぽい。
音楽の世界しか知らない人より、色々な経験をして来た人の音楽の方を僕は聴きたいと思う。

という言葉も、非常に印象的でした。

アーティストというのは、メッセージを伝える人だから、手段は何でもいい

そんな安達さんなので、自分をプロにしてくれたMさんや福島先生などに恩を感じてはいるものの、もし音楽のプロになっていなければ、それはそれで、

「音楽以外の手段で、誰の人生にも価値があるということを伝える仕事をしていただろうな」

と言われていました。

さらりと言われていましたが、この言葉もすごいですよね。そしてこの話はさらに、

アーティストというのは、メッセージを伝える人だから、手段は何でもいいと思っている。だから僕はもし手を失ってピアノを弾けなくなっても、声が出なくなって歌えなくなっても、それでも他の手段でそれを伝えるだけだと思っている。

という言葉に繋がっていきました。

痺れるほど格好いいです!

大事なのは自分で定義すること

で、そんな安達さんに図々しくも

「私のブログには、今の仕事がつまらないとか、なにか満たされない想いを持ってこられる方も多いみたいなんですけれど……好きなことを仕事にしたいな、と思っている人には、どんなことを伝えたいですか?」

などと質問してみました。安達さんはこんなふうに答えてくれました。

自分で定義するってことかな。
僕は、最初から自分は「アーティストです」と言っていたけれど、それは“だから技術的にどうとか、下手だとかいう批判は受けつけませんよ”という防御でもあった。
結構、チキンハートだから、批判されると傷つくし(笑)

世の中のルールとか基準に合わせると大変だから、自分は「この範囲で勝負しているんですよ」と定義するのって大事。定義すれば、その自分が作った自由な世界でやっていける。

プロという言葉の定義もしたもの勝ち。世の中的に「それってプロ?」と言われるレベルだって、それはその人の“プロ”のレベルの話をしているのであって、自分の定義する“プロ”はこういうもの、と決めちゃえば、プロだから。

素敵です!

文学賞をいくつかもらいながらも「プロの作家」になれなかった私によく言い聞かせたい言葉です……(^_^;)

安達さんは、「音楽の技術だけ見たら、自分は今でもプロのレベルではないと思っているけれど、音楽を使って人を幸せにするとか、音楽というツールを使うプロだとは思っている」ということでした。

なるほど~。

人を見分けるときの基準

ここまででも、きっと安達さんの格好良さは伝わったと思うのですが、さらに痺れたのが、徹底的に「for you」にこだわった姿勢です。

安達さんは、ソングレターアーティストになるまでには、変わったキャリアを歩んでいます。
資格専門校に入社したものの、かなりブラックな労働環境から逃げるように辞め、そのあと、友人とITベンチャーを立ち上げたものの、数か月で暗礁に乗り上げ、借金だけが残るという経験をします。

そのITベンチャーを立ち上げたり、潰したり、という頃には、様々な争いごとにも巻き込まれたそうです。

そんな経験もあって、安達さんはこんなことを言われていました。

僕は、人を見分けるときの基準を持っているんですよ。

それは、ギラギラしているか、キラキラしているか。

これだけで9割方、見分けがつく。

うわぁ、なんか分かる! と思いました。

ギラギラしている人は、for me になっている。
何か自分の得にならないか、という意識でいる。
あの頃、色々な問題に巻き込まれたのは、自分自身がギラギラしていたから、同じようにギラギラした人を引きつけてしまっていたんだって、今は分かる。

キラキラしている人は、for you で生きている。

ギラギラとキラキラ、濁点があるかないかの違いだけなんだけどね。

さすが作詞家! 端的な表現ですよね。

目の前の人に、今できることを

安達充以前はギラギラしていたという安達さんですが、大学の後輩が自分の夢よりも、安達さんを世に出すことを優先させたことからも分かるように、基本的にはずっと安達さんも、for you で生きてきたのだろうなと分かる方です。

そんな安達さんのポリシーは

目の前の人に、今できることを。

そして、「生まれ変わっても、来世の自分に伝えたい話」として、天国と地獄の長い箸の話をしてくれました。

ご存知の方もいるかと思いますが、それはこんなお話です。
連行寺さんのサイトから引用したものに若干手を加えています)

昔、ある男がえんま大王様に会いに行き、天国と地獄というのは、どういう世界なのかを聞きました。

すると、えんま大王様は、男に天国の様子と地獄の様子をそれぞれ見せてくれました。

まず地獄では、ちょうど食事の時間だったので、人々が、ながーい箸を持って大きい鍋の前に集まっていました。

この地獄では、ながーい箸で食事をしなければならない決まりなのです。

人々はながーい箸で、鍋の中のごちそうをとって食べようとするのですが、あまりにながーいので、どうしても自分の口にごちそうが届きません。

それでみんな、何も食べられずお腹を空かせ、痩せこけて、他の人の食べ物を横取りしようとして喧嘩ばかりしていました。

えんま様は、次に天国を見せてくれました。

天国も食事の時間でしたので、人々は、地獄のと同じ、ながーい箸をもって、地獄のと同じ大きい鍋の前に集まっていました。

天国でも、ながーい箸で食事をしなければならない決まりなのです。

天国の人々は、おだやかな顔をして楽しそうにごちそうを食べていました。

ながーい箸で、お互いに食べさせ合い、仲良く他の人とごちそうを分けあっているのです。

こうして地獄にいる人々は、自分のことばかり考えているために、いつまでも喧嘩をして何も食べられず、天国の人々はお互いを思いやっているので仲良く暮らせるのだ、とえんま大王様が教えてくれました。

この話を安達さんはこう説明してくれました。

この箸というのは、自分の持っている才能とか能力のことだと思うんだよね。
目の前の人のために自分の能力を使うこと。
今の自分があるのは、そうしてきたおかげだと思うから。

自分の道は、自分で切り拓くものじゃないと思う。
自分の道は誰かが切り拓いてくれるもの。
だから自分は、目の前の人のためにできることだけ考えていればいい。

自分の思い通りの人生なんてつまらない

安達さんの「流れるままに」という歌にこんな歌詞があります。

「自分で描く世界より、その先が見たい」

この歌詞の意味も、こんなふうに説明してくれました。

思い通りの人生を生きたいという人も多いし、
思い通りに人を動かすとか、そんな本も多そうだけど、
思い通りって言葉、僕は好きじゃない。

思い通りの人生って、いっけん良さそうだけれど、でも自分が思い描ける範囲でしかないということ。
僕は自分がこんな人生を歩むなんて思ってもみなかった。

今の自分があるのは、思い通りの人生を生きたいと思ったからではなくて、目の前の人のためにできることだけをしてきたからだと思う。

その結果として、自分が思っていた以上の、びっくりするようなところに来れたんだと思う。

思い通り以上……。深い言葉ですね。

そして最後に安達さんは、「人脈という言葉の素敵な意味を教えてもらったことがある」と、人脈の本当の意味も教えてくれました。

人脈って普通は、すごい人と知り合いになることだと思われている。でも、そういうときの人脈って、その人から何が得られるかというギラギラした感じでしょ?

でも『本当の人脈というのは、自分がつながっている人がすごくなっていくことなんだ』と言われて、すっとその言葉が入ってきた。

自分がつながっている人がすごくなるっていうことは、つながり続けるためには、自分も同じステージに上がっていないといけないから、自然と自分のステージも上がっているということ。
つまり、一緒に次のステージに上がっていく関係のことなんだ。

なるほど。
まさに、安達さんと後輩Mさんの関係のようですね。
(実は「僕が生まれた時のこと-It was when I was born」の動画を作ったのはMさんで、Mさんと安達さんは今も色々なことを一緒にされているそうです)

安達さんからは、本当に本当に、とっても素敵なことを学びました。大切な宝物のような時間になりました。ありがとうございました!

いつも素敵な人を紹介してくれるさわとんにも、心から感謝!

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執筆者:遊部 香(あそべ かおり)

文章を書いたり、写真を撮ったりしています。

現在は、『凪~遊部香official site~』で主に活動中。

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