自分で自分の場所を作る:ソプラノ歌手 竹林加寿子さん

竹林加寿子

今日は素敵な仕事人として、ソプラノ歌手・竹林加寿子さんをご紹介します。

加寿子さんは、国立音楽大学声楽家を卒業し、「第九」ソリストをされたり、数々のオペラにも出演経験がある本格的な「歌手」です。

小泉純一郎元首相が現総理だったときに、首相の前で歌ったこともあるそうで、私とは生きる世界が違う方のように感じてしまいますが……、でも実際にお会いすると、とっても気さくで、優しい雰囲気の美しい女性でした!
(加寿子さんのサイトには、小泉元首相との2ショット写真もあります!→http://kazuko2013.com/profile.html

ただ私が加寿子さんを「素敵な仕事人」だと思うのは、そういう華々しい経歴のためではなく、自ら「異端」の道を選び、道なき道を常に切り拓こうこうとされているその姿勢のためです。

Contents

音楽の道に進もうと思ったのは遅かった

uta加寿子さんは、大学の合唱団で出会った父母の元に生まれ、「食事の時にはクラッシックがかかっていた」という、クラッシック音楽をとても身近に感じる環境に育ちますが、「決して英才教育を受けたのではなく、音大に入ろうと思ったのは高校2年生になってからで、スタートはとても遅かった」そうです。

ただ、高2で音楽の道に進もうと決めたときのきっかけは強烈だったとか。

加寿子さんは、中学・高校の頃は、将来の夢も特になく、のっぺりとした、あまり色合いのない日々を過ごしていたそうです。

しかし、高校生になり、久しぶりに中学校に顔を出したとき、中学の頃の先生が加寿子さんの将来を心配したのか、「音楽の道に進まないのか?」と尋ね、近くで開催されるソプラノ歌手のリサイタルに連れて行ってくれました。

クラッシック音楽に馴染みはあっても、歌手が歌うリサイタルに行ったのは初めてだったという加寿子さんは、

「そのソリストの歌を聞いたとき、たくさんの金の雪が降ってきたような、雷に打たれたような、ものすごい衝撃を受けた。神様がいる!と思った」

と、興奮気味に話してくれました。

そして、このリサイタルを見たのをきっかけに、音楽の道に進もう、まずは音大に入ろうと決めます。

「私の人生はわらしべ長者みたいなの」

そのあと、その中学の先生の紹介で、加寿子さんは歌のレッスンを始めます。しかしその先生はアルトの先生で、ソプラノの声を持った加寿子さんに教えるのは難しいのではと感じ、その先生の近所に住んでいるソプラノの先生を紹介してくれることになります。

アルトの先生にもらった住所を手に、ソプラノの先生の家を訪ねてみると、なんと、出てきたのは、あの「神様だ!」と思った、リサイタルで歌っていた歌手、その人でした。

加寿子さんは運命的なものを感じ、その先生の元で、必死に歌の勉強をします。

加寿子さんはインタビューのなかで何度も「私の人生はわらしべ長者みたいなの」と言われていたのが印象的でしたが、それは色々な人がベストなタイミングで自分の前に現れ、自分を導いたり、サポートしてくれたと感じているということだそうです。

確かに、久しぶりに再会した中学の先生がリサイタルに連れて行ってくれ、その先生の紹介してくれた先生のさらに紹介してくれた先生が、その運命の歌手だったなんて、導かれていますよね。

次第に募る違和感

そのソプラノの先生や、高校の音楽の先生、音大の夏期講習で出会った先生など、複数の先生に助けられ、加寿子さんは、「高2からでは、現役合格は難しいんじゃないか」と思われていたなか、みごと国立音楽大学に合格します。

しかし、大学で派閥などによるしがらみを見たり、「歌うマシンを作るみたいだった」教育を受けるうち、加寿子さんのなかには、日本の音楽教育に対する違和感がじわじわと湧いてきます。

声楽の世界には「ベルカント唱法」など、声の出し方のテクニックがあり、たとえば「この音を出すには、姿勢は伸ばして声を頭から出して、顔のこの部分に空洞を作って、このあたりの骨を響かせる」など、ものすごく細かいルールのようなものがあるのだそうです。

そして、加寿子さんは先生から「歌い手は心を込める必要はない。歌い手の気持ちが入ると、聴いている人はしらけるだけだ」と言われます。

また、大学を卒業したあと、加寿子さんは、二期会オペラスタジオに入ります。それは、劇団の研修生システムのようなものらしいのですが、ただの教育の場ではなく、その先に「活躍する場」がある研修所ですから、そこでは「この先生に気に入られると、将来有利だ」など様々な思惑が働き、どろどろした世界だったそうです。

そこで加寿子さんは、ウィーンに短期留学し、戻ってきたあと、大きな事務所に所属するのではなく、自ら後輩と事務所を立ち上げることを決めます。

自分が真ん中になれる場所を作る

音大の声楽科を出ても、ソリストとして活躍できるのはわずか一握りで、大抵の人は、「生徒をとって、レッスンをして生計を立てる」「音楽の先生になる」「オペラやコンサートを主催する団体に所属する」というどれかの道を進んでいくそうです。

しかし、加寿子さんはどの道も選びませんでした。

それは、学生時代、合唱の仕事をしたときに出会ったクラリネット奏者の言葉が心に響いたからだそうです。そのクラリネット奏者は、その合唱の仕事を自ら作り、作詞作曲も指揮も一人でこなしました。

その方はこう言いました。

大きなところで真ん中になろうと思っても、そうなれるものじゃない。
端の方から始めて、キャリアを積んで、じわじわと真ん中に近づいていくことはできるだろう。

でも、あともう少しで真ん中だというときに、ちょっとでも横柄な態度をとったりして、嫌われたら、“あぁ、もう君はいらないよ。君の代わりはいくらでも後に控えているからね”と言われる。そんな世界だよ。

だから、どんな小さくてもいいから、自分が真ん中にいられる場所を作りなさい。

大きな事務所に所属すれば、真ん中にはなれなくても、個人で仕事をするよりは安定した収入が期待できます。

しかし、加寿子さんは、自分で道を切り拓いていくことを選択します。加寿子さんは、

「自分の事務所を立ち上げたということは、自分で企画を一から作ること。
大きな事務所の歌い手の一人だったら、企画を作ることは難しい。
企画の一部として振舞うことを要求されるだけ」

と言い、今の仕事はクリエイティブだから楽しいと話されました。

そうやって、「自分が真ん中になれる場所を自分で作る」と決めたとき、加寿子さんは「異端児」になり、でも同時に「素敵な仕事人」への道を歩き出したわけですね。

多面的な人間でありたい

rockそのあと、「わらしべ長者」の加寿子さんは、人に呼ばれれば、そこで一緒に企画を考え、歌い、その舞台を見た人にまた違うところに呼んでもらい……と、縁をつなげ、20年以上仕事を続けられています。

その仕事は、結婚式の司会派遣をしている会社の社長との縁で始まった「音楽を使った人前結婚式」だったり、ワインパーティーで知り合ったのが縁という「演劇実験室万有引力(寺山修司の天井桟敷の流れをくむ劇団)」の仕事だったり(加寿子さんは芝居に出演したり、万有引力を主宰する方のロックコンサートで歌ったりされています)、お寺での講演と歌の仕事だったり……普通の「ソリスト」のイメージとは違う、幅広い活動です。

加寿子さんはこうも言われていました。

「いつも違うものを見せられる自分でいたいと思っている。
 このあいだはこんなことをやっていたのに、今度はこんなことをやっちゃうんだって。
 そんな多面的な人間でありたいなと思う」

加寿子さんも、職業のイメージとか、「~するべき」という外からの力から自由な素敵な仕事人なのです。

あと、実家がお寺で、「見えないものに守られている」という考え方は幼いころから当たり前だったという加寿子さんは、こんなことも言われていました。

「自分から何かやろうと思って、やるというのも大切だけれど、
 人から“こういうのどう?”と、唐突に降ってくる話は、神様から来たもののような気がするから、基本的には断らないようにしているの」

 

自らの意志で行っているのは祈りのコンサート

inoriでも、もちろん、加寿子さんが企画の発端になり、自ら動いている活動もあります。

そのなかで、特に素敵だと感じるのが、東北の震災から始めた「祈りのコンサート」。

加寿子さんは、3.11のあと、2週間もしないうちにボランティアとして現地に入り、避難者の現状などを目の当たりにします。

そして、被災者のおじいさんに尋ねてみたそうです。

「私に何ができますか?」と。

するとおじいさんは、こう返しました。

「こういうのはブームで終わってしまうから……、覚えていてほしい。忘れないでほしい」と。

その言葉を素直に受け、震災から5年以上経った今も、加寿子さんは「PRAYERS CIRCLE 祈りの歌 祈りの輪 チャリティコンサート」を日本各地で開催し続けています。

そのコンサートのなかで、お客さん一人一人がペットボトルをリサイクルして作った容器に入れたキャンドルに火を灯す時間があるそうです。

キャンドルの光は、命の光。隣のキャンドルに火がついたら、自分もつける。自分がついたら、隣もつく。

そうすることで、「誰かがいることで、自分が光れる。自分が光るから、誰かを光らせられる。自分が光るのをやめてしまったら、光れなくなる人がいる」という、一つ一つの、一人一人の命の価値を感じてもらいたいのだそう。

そして、その灯したキャンドルを自分で吹き消し、自分の命の有限さを感じるシーンもあるそうです。

人の命や、人と人のつながりについて端的に表現した、素敵な舞台ですよね。

自分を愛するために始めた、小さな一歩

そして加寿子さんがもう一つ、最近力を入れているのが、「自分を愛することの大切さ」を人に伝える活動です。

加寿子さんのサイトのトップページにも、

「自分を愛する」事を少し始めてみただけで、
世界は大きく変化しました。

というメッセージが書かれています。

これは、このブログのテーマの1つ「自分の心を満たす」ということにもつながりそうだと思い、加寿子さんに自分を愛し始めたきっかけと、その方法について聞いてみました。

きっかけは誕生日に、「自己愛のサンキャッチャー」という、太陽の光を浴びて、虹色の光を反射させる飾り物を友達にもらったことだったそうです。

自己愛という言葉を見た加寿子さんは、自分は自分を愛しているのだろうかと疑問に感じ、プレゼントをくれた友達たちに「みんなは、自分を愛しているの?」と純粋に聞いてみました。

すると友達は「みんなを好きだと思うように、自分も好きだと思っているだけだよ」と、さらりと答えたそうです。

そのとき加寿子さんは、「みんな、すごいな」とか「みんな、素敵だな」と思うとき、自分は自分のことをその「みんな」のなかに入れて考えてはいなかったな、と気づきます。

「みんなはすごい。でも私は……」
「みんなは素敵。でも私は……」

と、「みんな」と距離を取っていた、と。

そして、友達に「加寿子さんも、〇〇のところが素敵だよ」と言われたとき、「無理無理、全然、そんなことないよ」と否定していたことにも、同時に気づきます。

そして、まずは「みんな、すごい」「みんな、素敵」と言ったり思うときに、「みんな」のなかに自分も入っているのだとイメージしてみるということから始めようと思ったそうです。

「始めはすごい違和感を感じたんだけど」

加寿子さんはちょっと照れたように言いました。

でもそうやって、少しずつ、自分も「みんな」のなかに入れていくと、気づくと、自分自身を以前より信頼できるように変わっていたそうです。

とても簡単で、シンプルだけれど、この「みんな」に自分を入れるという感覚、実は結構大きいですよね。

私も、「みんな、すごいな」というとき、自分はその外にいることに気づきました……。

これからは、「(私も含めて)みんな、すごい」と思いたいです。

そして、早く私も自分のことを「素敵な仕事人」の一人に堂々とカウントできるようになりたい、というのが、今の密やかな、でも慎まやかな野望です(笑)

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加寿子さんには、それ以外にも、たくさん素敵な話を聴かせてもらいました。

そして、別れ際、ハグしてもらいました♪
加寿子さんはとっても背が高く、身長差がありすぎて、イメージしていたようなかっこいいハグにならなかったのは心残りですが(笑)

本当、素敵な時間を過ごせました。
ありがとうございました!

竹林加寿子

★PCで聴くだけで、加寿子さんの歌のすごさは伝わります! お薦め♪
→ https://www.youtube.com/watch?v=SQsrBt7MiJM

★加寿子さんのサイト
※本当、気さくに話をしてくださる方なので、ソプラノの歌が欲しい、という場面があったときには、気軽に相談されてみるといいですよ!
→ http://kazuko2013.com/index.html

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執筆者:遊部 香(あそべ かおり)

文章を書いたり、写真を撮ったりしています。

現在は、『凪~遊部香official site~』で主に活動中。

>> 詳しいプロフィール
>> メインサイト「凪」



竹林加寿子

2 件のコメント

  • 縁ありて・・祈りのコンサートにであったのが昨年のこと。
    お人柄と 歌声に聴き惚れました。観客 数十人での 夕暮れの海岸・・どんな大きな会場のコンサートでもありえない感動でした。今回の記事 お人柄が出ていて良い記事ですね〜。この記事に出会い感謝です。ありがとうございます。

    • 渡辺さま

      コメント、ありがとうございます!
      私はまだ生歌を聴いたことがないので、本当、早く聴いてみたいです。
      特に室内でなく、海岸なんて、素敵ですね。