いざというとき、頭ではなく、体と心の声を信頼する

先週、北海道でしつけのために森の中に置き去りにされた男の子が無事発見されたというニュースがありました。

夕方5時ごろに置き去りにされ、そこから黙々と道を上っていって、6キロほど離れた自衛隊の施設で6日間水だけで過ごしたとか。

その施設にたまたま1か所鍵がかかっていなかったとか、マットレスがあって最低限の暖がとれたとか、食料はなかったけれど、水道があって水は出たとか、様々な要因が重なっての「無事」だったそうですが、私が一番心に残ったのは、このニュースを紹介する番組でコメンテーターが口にした言葉でした。

「これは、子供だから助かったとも言えますね」


子供だから助かったとは?

このニュースを初めて知ったとき、ひとつ不思議に感じたことがありました。

この子は自衛隊の人がたまたまこの施設に入るまで、6日間、その小屋のようなところでじっとしていて、動くといったら、小屋の外にある水道まででした。

食べ物もないし、夜になると真っ暗になり、マットレスはあるといっても、暖かくはない環境です。

普通だったら、このままでは死んでしまうと恐怖を感じますし、その恐怖で、動き回って、救いを求めずにはいられないと思うのです。

でもこの子が助かった一番の要因は、

「必要以上に動き回らなかったのが良かった。動き回っていたら、体力を消耗して、水だけではもたなかっただろう」

ということなのだそうです。



つまり、大人が何かの災害か何かで6日間、こんな小屋に残され、水だけしかとれなかったら、死んでいた可能性が高い。でも、頭ではなく、ある意味、本能で動く子供だったから助かったのです。

よく、頭で考えることを「理性」と呼び、本能のままに動くよりも理性で本能を司る方が優れているように思われがちです。でも、こういう自然の厳しい環境下では、頭より、体や心の声を聞いた方が、正しい選択を行えるのかもしれません。

※いや、実はこれは「自然の厳しい環境下」の話だけではないかもしれませんね。たとえば、人間関係なども複雑になってくると、「理性」で築くものだと思われてきてしまうかもしれませんが、人間は、やはり大元は「動物」。

本当に良い人間関係というのは、決して「理性」では産み出せないものの気がします。それが、人脈の作り方などのハウツーや、人の心をとらえる方法などブラックな心理学の限界ですよね。

特に今、婚活などもはやっているようですが、恋愛は、頭で考えた「必要性」ではできませんよね。

「恋とはするものではなく、落ちるもの」(by 江国香織)

……と、脱線。

恐怖によって死ぬこともある

また、先の番組では他のコメンテーターが、「このままで何日生きられるだろう、などと考えることも体力を消耗しますからね」というようなことを言われていました。

確かに、考え事をしすぎると、どっと疲れた気がしますが、きちんと計測すると、実際に体のエネルギーも消耗しているのかもしれません。

1994年のロス大地震のときには、建物の下敷きになった人の多くが、実際に下敷きになったことによる肉体損傷のせいではなく、「このまま死ぬかもしれない」という恐怖によって死んだというデータもあるそうです。

脅威を感じた瞬間にアドレナリンが湧きあがり、心臓が停止するという機能が人間にはあるとか。

そう考えると、「思考」というのは、ありがたいもののようでもあり、迷惑なものでもありそうです。

今更、本能優位の子供には戻れませんが、やはり瞑想するなり、自分なりに頭を休ませ、心や体の声を聴く時間を定期的にとり、「いざというとき、頭ではなく、心や体の声を信じる」ことができるようになりたいですね。

神経回路というのは、使えば使うほど太くなり、使いやすくなるそうですから、まずは普段から、自分の体と心が何を今察知し、何をしろと言っているのか、耳を澄ます習慣を作りたいと思います。

 

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執筆者:遊部 香(あそべ かおり)

文章を書いたり、写真を撮ったりしています。

現在は、『凪~遊部香official site~』で主に活動中。

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