少し前に、西村雅彦さんのインタビューを読みました。
説明するまでもないと思いますが……、西村さんは三谷幸喜の劇団「東京サンシャインボーイズ」の出身で、「古畑任三郎」をはじめ、数々のドラマで脇を固める個性派俳優です。
※東京サンシャインボーイズが解散(正式には「30年の充電期間」らしい)したのが、私が大学1年生の頃で、最後の舞台、見に行きました。でも、記念すべき、そのときのパンフレットは、大学の後輩に貸したら、返ってきませんでした(涙)
今も三谷さんのドラマにはよく出演されていますよね。
そのせいか、なんとなく、西村さんは最初から「東京サンシャインボーイズ」にいた人、というイメージでしたが、違うんですね。
西村さんは、その前に大きなつまづきを経験されているとか。そこから立ち直った経験について知ることは、今、人生につまづいたように感じているあなたの参考になるかもしれません。
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東京サンシャインボーイズ入団前の「つまづき」
西村さんは富山出身で、高校卒業後、東京に出てきますが、馴染めずに半年で富山に戻り、写真専門学校に通ったそうです。
その頃から、富山のアマチュア劇団に所属し、専門学校卒業後は、カメラマンの助手をしながら、その劇団でメインの役をもらい続けていたとか。
ただしばらくすると、富山での活動に限界を覚え、今度は本格的に役者を目指して、上京することにします。
でもそこで、最初に入ったのが、劇団文化座。1942年に旗揚げされた「老舗」の、「新劇」と言われる、台本・台詞重視の“いわゆる演劇”をする劇団でした。
当然、新劇の世界は、アマチュア劇団の世界とは違い、上下関係も厳しく、演技にも決まった形を求められ、西村さんはそこで力を出し切れず、「挫折」に近い経験をします。
そこで出会ったのが、当時はまだ無名だった「東京サンシャインボーイズ」だったということです。
どこに自分の身を置くのかの選択は大切
三谷さんは、よく、劇団時代はそれぞれの役者のことを考えながら台本を書いていたと話されていますが、西村さんのことは「あいつは追い詰められたときの演技が上手いから、そういう状況に毎回追い込んでいる」と、どこかで書かれていました。
言われてみれば、確かに、西村さんの演技ですぐに思い浮かぶのは、あたふたしている姿です。
そんなふうに、「台本・芝居」がまずあって、それに役者が合わせていくという演劇の世界から、今度は、「まず自分があって、そこから芝居が産まれていく」という世界に西村さんは移ったわけです。
元々、アマチュア劇団でも、入ってすぐから大役をもらい、自分には才能があるのではないかと感じていたそうですが、それでも、「才能」は、環境によって発揮できなくなることもあるわけですね。
そういう意味でも、自分がどこに身を置くかの「選択」は大切だなと思うのです。
選択のなかにも、さらに選択はある
つまり、大きな選択のなかにも、さらに小さな選択はあるのです。
自分は演劇をやっていくんだというのが、一つの大きな選択です。でも、「演劇をやる」と決めただけでは、実は選択のごく一部しかしていないかもしれないんですよね。
プロでやるのか、他に仕事を持ちながらアマチュアとしてやるのか、東京でやるのか地元でやるのか、新劇なのか小劇場なのか伝統芸能なのか、ミュージカルなのかストレートプレイなのか、A劇団なのかB劇団なのか……。選択のなかにも、選択はたくさんあります。
これは、当然、演劇の世界に限らず、どこの世界ででもです。
1回つまづいただけで、本当にやりたいことなら、そこでやめる必要はありません。
たとえば人にものを教える仕事がしたいと思った。
それで学校の先生になったけれど、ストレスで体を壊して、退職してしまった。
そんなとき、「自分は人に教える仕事は向かないんだ」と思いがちです。もっと悪いと「自分は人並みに働くことなんてできない人間なんだ」とまで思ってしまうかもしれません。
でも、本当はそうではないのかもしれない。
ただそこの学校が合わなかったのかもしれない。
公立ではなくて、私立だったら良かったのかもしれない。
学校の先生が合わなくて、塾の先生だったら良かったのかもしれない。
集団授業じゃなくて、個別指導できるものだったら良かったのかもしれない。
子ども相手ではなくて、大人相手の研修の講師だったら合ったのかもしれない。
勉強でなくて、スポーツや趣味でやっている〇〇を教える先生だったら、楽しくできたのかもしれない。
多分、本当は、どれかなんです。
人生につまづいてしまったときは、大きな選択を見直す必要に迫られることもあるでしょうけれど、その前に、まず大きな選択のなかの、小さな選択を変えるということも考えてみるといいじゃないかな、と思います。
本当にやりたいことなら、やる方法はどこかにあるはず。
そんなことを、西村さんのインタビューから考えました。