※現在、宮﨑さんは、やちよ補聴器のお店は閉められ、他の場所で仲間と働かれています。
今日は、「SP養成講座」(自分を自分の一番のパートナーに、というメソッドを学ぶ心理学講座)で同期だった宮﨑さんのことを、「素敵な仕事人」として、ご紹介したいと思います。
講座の同期と言っても、宮﨑さんは来年還暦を迎える人生の大先輩。
15年間シングルマザーとして3人のお子さんを育てながら、補聴器専門店を営んできた、芯のしっかりとした“凛とした”という形容の似合う素敵な女性です。
好きなことを仕事にしている「素敵な仕事人」のなかには、自分が好きだったことを突き詰めていって、自らその「好き」を仕事につなげている人もいます。
でもそれだけではなく、運命に導かれるように、目の前のことにまっすぐ向き合っていくうちに、「天職」と呼べるようなものに辿り着いていた人もいます。宮﨑さんは後者ですが、ただ、要所要所での選択では、あくまで「自分の想い」を大切にしてこられている気がします。
時々躓きながらも、精一杯生きてきている宮﨑さんの姿からは、私も刺激を受け、是非、このブログでも紹介したいと思いました。
Contents
20年のベテランの言葉
宮﨑さんの補聴器専門店は、京成の八千代台駅から徒歩3分のところにあります。「補聴器専門店」と聞いて、メガネのお店のような、商品がずらりと並べられている店舗をイメージして伺いました。
しかし、店舗には必要最小限のサンプルとリーフレットが置かれているだけで、メインはカウンターと、聴力を測る防音室で、あとは様々な絵が飾られた柔らかい空間でした。
左の看板をはじめ、店内に飾られたたくさんのパステルアートは、宮﨑さんがご自身で描かれたものだとか。凛とした雰囲気とはまた違った、柔らかい心もお持ちの方なのだということが、この絵から伝わってくる気がします。
「商品が並べられている訳ではないんですね」という私の言葉に、宮﨑さんは笑いながら、「そう。どれがいいか選ぶのは、私に任せてって感じなの」と言われていました。
さすが、補聴器の仕事を始めて20年、独立して15年のベテランの言葉です!
補聴器の仕事を始めたのは、ただの偶然
宮﨑さんが補聴器の仕事を始めたのは、特に身の回りに補聴器が必要な人がいたからなど、特別な理由があったからではなく、ただ「事の流れ」からだったそうです。
当時小学2年、1年と3歳になる子供を育てていた宮﨑さんはパートで働いていましたが、子供が体調を崩し、看病のために仕事を休まなくてはいけなくなることが何度かあったため、クビになってしまったそうです(社労士としては、「その会社、ブラックじゃない?」と一言いいたいですが……)。
そんなとき、子供の同級生の母親(今でいう“ママ友”)から、「お茶くみ程度でいいから、ちょっと仕事を手伝ってほしい」と声を掛けられました。その仕事が、補聴器販売店の仕事でした。
つまり最初、宮﨑さん本人には、あまり強い「補聴器」に対する想いはありませんでした。しかし、“ママ友”の方が接客で忙しくしているあいだに、宮﨑さんはお茶くみだけではなく、様々な必要な知識を仕入れるためのセミナーなどにも派遣されるようになり、次第に「補聴器のプロ」になっていきます。
独立時の想い
そして、補聴器のメーカーから「補聴器専門店を立ち上げたいから、店長としてやってもらえないか」と声を掛けられるまでになります。宮﨑さんはその要請に応じ、八千代台で自ら貸店舗物件を探し、店をオープンさせます。
しかし、一つのメーカーが作った「補聴器専門店」ですから、そこではそのメーカーの商品しか販売できませんでした。
「地域密着とうたいながら、これでは地域の人にきちんと役立っていないのではないか」
宮﨑さんはそんな想いを募らせていきます。そして、会社に他のメーカーの商品も扱えるようにしたいと交渉してみましたが、結局、交渉は決裂しました。
そこで宮﨑さんは独立を決意します。既にシングルマザーになり、貯金もなく、むしろ借金があるような状況での、一大決意です。
宮﨑さんとしては、八千代台からは離れ、津田沼など違う場所で開業する予定でした。しかし、既存のお客様にそう挨拶したところ、お客様の娘さんが怒鳴りこんできました。
「信用して、ここに母の耳のことを任せたつもりだった。
母は電車に乗って他の場所になど通えない。どうすればいいのか?」と。
宮﨑さんはその人の言葉に心を動かされ、線路だけ隔てた同じ八千代台に今の店をオープンさせます。前の会社に悪いことをしたと思いながらも、「お客様からの信用」に応えたのです。
仕事が軌道に乗ったきっかけ
しかし、独立してすぐ、仕事が軌道に乗ったわけではなかったそうです。
借金もあり、高1、中3、小6の子供を養っていかなくてはいけないというプレッシャーもあり、宮﨑さんは毎日、決算書や売り上げ目標など、数字漬けの毎日を送ります。
「どうしたら売れるか?」
当時はそればかり考えていたと宮﨑さんは振り返ります。
でも、売り上げのことばかり考えていたときには、頑張っても頑張っても、数字は伸びませんでした。
では、経営が軌道に乗ったきっかけは何だったのか? それは、「自分はお客様の役に立ちたいと思って起業したのだ」という原点に返ったことだったそうです。
そして、数字のためではなく、「お客様の役に立つ」という本当に自分がやりたいことに集中し始めると、仕事は苦しいものではなく、感謝になっていったとか。
もう一つの大きな出来事
ただ、「お客様の役に立つ」ことに集中し、売り上げが安定し始めた頃、リーマンショックが起きます。
補聴器を必要とするご高齢のお客様に、リーマンショックは関係なさそうに思われますが、子供が仕事を失ったり、収入が減ったら、助けたいと思うのが親の気持ち。今まで補聴器に使っていたお金を、子供への経済援助に回すお客様も多く、売上が減少していったそうです。
さらに2011年の3月。「耳の日キャンペーン」のDMを発送し、売上の挽回を考えていた矢先、東日本大震災が起きます。数か月、商売どころではなくなり、宮﨑さんも途方にくれたと言います。
そんな2011年の夏、お客様から補聴器を作りたいという電話がありました。そのお客様は、宮﨑さんの生まれ育った東京下町で新婚時代を過ごした方で、お店に来ては、奥様と一緒に、その下町での思い出話に花を咲かせていた方でした。
そのお客様が、震災前にした胃がんの手術の経過が悪く、再入院するため、予備の補聴器を作りたいと連絡してきたのです。宮﨑さんは、いつものように耳の形をとり、お客様とお話しして帰りました。
しかし、その1週間後、出来上がった補聴器を届けに伺うと、そのお客様は全身に黄疸が出て、ベッドから起き上がることもできない状態になっていました。でも、驚いている宮﨑さんに、そのお客様は、
「宮﨑さん、これは棺桶用に作った補聴器なんだよ。かぁちゃんからお金もらってよ」
と、なんでもないことのように言ったそうです。奥様も「気にしなくていいのよ、お父さんが言ったとおりだから」と穏やかに微笑んでいらっしゃったとか。
そのご主人も、ご自身で商売をなさっていた方でした。ですから、つまり、分かっていたのです。宮﨑さんが、そのとき、どういう状況にあるのか。そして、どうしたら宮﨑さんを助けられるか。そして、考えた末、補聴器を頼んでくれたのです。その方は、その2週間後に亡くなったそうです。
宮﨑さんは言います。
「私は、お客様に助けられながらここまで来ました。だから簡単に辞めるとか、諦めるとか言えないのです」と。
“やりたいことをやる”というのは、自分勝手なことではない。
“やりたいことをやり、やりたくないことをやらない”
この深さがわかってくると生かされている豊かさがわかってきて、ジワジワと幸せな気持ちになります。
というのは、宮﨑さんがSP講座の同期に送ってくれたメールの文面ですが、最初に読んだときには、よく意味が分かりませんでした。
でも、宮﨑さんの仕事の経験、そこで何を想い、何を選択してきたのかを知ったあと、この言葉を振り返ると、この言葉の重みが分かってきます。
“やりたいことをやり、やりたくないことをやらない”
若い人が口にすると、ただのわがままに聞こえかねないこの言葉ですが、様々な経験をしてきた宮﨑さんの言葉には、もっとずっと深い意味を感じます。
「使命を果たそうと思ったら、人からの評価とかお金とかそんなものに惑わされず、きっぱりと自分のやるべきことだけに集中する覚悟を持ちなさい」
……と、いうような。
宮﨑さんの行動の原点
ここまでのエピソードでも分かるように、宮﨑さんは、自分の想いをしっかりと持ち、それを行動につなげ、形にするために、自分を厳しく律し、しっかりと生きてきた方です。
凛とした立ち振る舞いから、それはすぐに感じ取れます。
ただ、決して厳しかったり、きちっとしすぎていて冷たい感じがするというわけではありません。
宮﨑さんの原点は「人の役に立ちたい」という想いであって、少しクールに見える外見の奥には、困っている人に手を差し伸べ、できる限りのことをしてあげたいと思う、熱いエネルギーがあります。
宮﨑さんは補聴器に必要な電池などの部品の配達に行ったとき、高齢者のご家庭の窮状を目にすると、いてもたってもいられなくなり、行政と連絡を取り、支援に結びつける活動もされているそうです。
60歳を目前に控え、様々な経験からしっかりとした自分の人生を確立している宮﨑さん。それでも、40代のカウンセラーが講師をしているSP講座で、さらに学びを深めようとしたり、古事記の勉強をし、毎年伊勢神宮にお参りをし、神様に感謝しながら生きているその姿勢には、私も非常に刺激を受けました。
自分の軸を持ってぶれず、でも自分に必要な学びは謙虚に受け入れて成長していく、私もそんな凛とした生き方をしたいと思いました。
宮﨑さん、お話を聴かせて頂き、ありがとうございました!
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宮﨑さんは、「耳の聞こえが悪くなると、人は外出や人と会うのが億劫になり、家に引きこもり、認知症になったり、症状を悪化させることも多い」と言われています。補聴器を使ってコミュニケーションの場をつくることによって、症状の進行を遅らせることもあるとか。
難聴や認知症は60歳を過ぎると増えます。60歳以上の両親を持つ方は、是非、親の「耳」の状態も気にかけてみてあげてくださいね。
そして、千葉。特に八千代台付近(津田沼とか、船橋でも)の方で、聞こえに不安や不快な症状がある方は、是非、気軽に相談してみてください。
20年の経験のベテラン補聴器マスター・宮﨑克子さんが、的確なアドバイスをくださいますよ! → やちよ補聴器
※宮﨑さんは、今は「やちよ補聴器」の店を閉め、他の場所で仲間と一緒に仕事をされています。
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