前回のブログでも、風邪でダウンしていたと書きましたが、熱は下がったものの、なかなか本調子に戻りません……。
年だからと言われるとそれまでですが……、熱が下がらないうちに、法事の為に無理やり子連れで広島に行ったりしていて、上手く回復の流れに乗れなかったのかもしれません。
そんななかで、ちょっと自分の「100%」って何だろう?ということを考えてみました。
「100%」はそのときどき、違う
と、そんなこんなで、風邪は治ったものの、疲れが抜けず、いまいち「元気」と言い切れない状態で今週ももう後半ですが……
40歳という“大人”になって最近ようやく、「無理なときは、無理なんだから、手を抜く。休む」ということが分かってきたように思います。
若いころは、自分の心や体の状態に関わりなく、「自分がやると決めたことは、毎日きちんとやらなくては」と思い、どんなに疲れていても、眠くても、半分意識を失いながらもパソコンに向かっていたりしましたが、最近、そういうことはなくなりました。
昔は多分、一番頑張れるいい状態で、一番頑張っているレベルを自分の中で「100%」とし、常にその固定された「100%」を自分に求めていたのだと思います。
でも、体調が悪いときに、そんなレベルのことをしたら、実はそのときの力では「200%」とか「300%」のことになってしまったりするんですよね。だから、しんどくなる。
若いころはそれでも、無理やり押し切れたかもしれないけれど、“大人”になるとそうもいかない。
体調が悪いときや、気持ちが乗らないとき、自分の理想を100%にすると、30%くらいしかできないかもしれないけれど、もしかしたら、その30%の方が、今の100%なのかもしれない。
残りの70%は私の意志とは関係のないところで、体が病気を治そうと頑張ってくれているのかもしれないし、以前170%頑張ってしまった分の穴埋めとして、体を休ませようとしてくれているのかもしれない。
最近、そんなことを考えたりしています。
体と心の浮き沈みも大切に
無理なく、今、心地よく過ごせる状態が「100%」。
たまには挑戦して、120%くらいは目指さないと、「現状維持」になってしまいますが、そういつもいつも理想の「100%」や「120%」を目指すのも違うのかもしれない。
体や心がしんどいと思ったときは特に、「今の100%ってどれくらいのレベルだろう?」と意識してみたいものです。
これじゃあ30%だよとか、40%だよ、と感じてしまうときには、残りの70や60は、自分の体なり心なりが自分で自分を回復するために使ってくれているのだと信じて。
体調が悪く、日々のペースが落ちてしまうときだからこそ、見えてくることもあるし(たとえば、やらなくてもいいことまで、つめこみすぎだなとか)、限られたことしかできないからこそ、本当にやりたいことが分かったりもするんですよね。
そう、自分の体や心の浮き沈みも大切にしつつ、焦らず、でも少しずつは着実に進んでいきたいなと思います。
日々、頑張りすぎてしまう人は、「これは100%? 今の私には150%になってしまっていない?」と時々、問いかけてあげてみてくださいね。