先週、ノーベル賞の受賞者が発表されました。
今年も理系分野での活躍が目立ちましたね。
カミオカンデの話などは、本当に様々な分野の一流企業の技術者たちが、不可能と思えることに挑戦し、成し遂げた結果という感じで、「プロジェクトX」のような、壮大な日本人のドラマが奥にありそうでした。
ただ私が一番心惹かれたのは、医学・生理学賞を受賞された大村教授の研究です。
「メクチザン」の無償配布が10億人を失明から救った
大村教授の開発した「イベルメクチン」は、人間に効く治療薬「メクチザン」になり、世界保健機構(WHO)を通じてアフリカや中南米、東南アジアなどに無償・低価格で提供され、「寄生虫による失明から10億人を救った」と言われています。
でもなぜ、10億人以上もの薬を無償・低価格で配布できたのかというと、元々動物用として開発された「イベルメクチン」が家畜用として、既に大量に売れ、多くの儲けが出ていたからとか。
(「イベルメクチン」の特許などで北里研究所が得た金額は250億円以上で、それによって研究所の経営の立て直しもでき、さらに研究助成や研究所運営、病院建設にも役立てられたとのこと)
「イベルメクチン」で稼いでも、「メクチザン」の特許でさらに稼ぎを生み出すことも可能だったはずですが、お金をしっかり回収できるところからはするけれど、お金を払う余裕がない人からは取らない。
こういう、”全体でバランスが取れればいい”と考える思考は、結構重要かもしれません。
一つの物差しで杓子定規に生きるより
以前、社労士で開業しようとしていたとき、先輩から「自分の時給がいくらくらいか、しっかり決めて、それ以下の仕事は受けないようにした方がいい」というアドバイスをもらったことがあります。
確かに、自分の時給を決め、それを意識して仕事をすることは、フリーの人間には重要だと思います。
ただ、それに縛られ過ぎると、逆に自分の仕事や行動の範囲を狭めてしまうことになりかねません。
以前紹介した、たけながかずこさんの「女性のための「スロービジネス」入門―個人事業主という生き方」という本には、「相手の予算に合わせていくと、どうしても報酬以上のことをしなくてはいけないことも出てくるけれど、それは講演会や執筆など固定の収入で補っていくようにする」という言葉がありました。
また、生活できる程度が稼げたら、あとはほぼボランティアのような形でNGO活動に関わるという生き方を選んでいる人もいます。
一つの物差しで、すべてを同じように測って生きるより、でこぼこがあっても、均した平均が自分の考える水準以上ならいい、と考える。というのは、色々なところで役立つ考え方かもしれません。