昨日の「自分の責任は何パーセント?」という記事で、人のせいにせず、自分にも原因があると考えてみてはどうでしょうということを書きました。
今日はまた違う角度から、周りの環境や出来事を自分の責任として引き受けるということについて書きたいと思います。
「○○のせいで」は後ろ向きな言葉
たとえば週に3回はジムに行って運動をしようと決めたとします。
でも、自分で決めたルールでも、守ることはなかなか大変なことです。
自分の気持ちとしては行きたくても、急な残業を言いつけられるかもしれませんし、自分や家族が病気になるかもしれませんし、親族に何かトラブルが発生するかもしれません。
そういうとき、
「週3回ジムに行こうと決めたけれど、今週2回しか行けなかったのは、急な残業を言いつけた上司のせいだ」とか
「子供がおたふくかぜになったせいで、行けなかった」と多くの人は言うでしょう。
確かにこういう場合、自分の意志だけでは自分の決めたルールを守り切ることはできません。
でも、「○○のせいで、△△できなかった」という言葉は、後ろ向きな印象を人に与えます。ということは、自分自身にもそういう印象を与えます。
つまり、自分の力だけではどうにもならないことが、世の中にはたくさんあるということを、自らに信じ込ませてしまっているようなものです。
「できなかった」ではなく
こういうときには、意図的に言葉を変えてみるのがお勧めです。
敢えて「できなかった」というのではなく、「○○を選択した」と言うのです(心の中で言うだけでもOKです)。
たとえば
「今日はジムに行く予定だったけれど、ジムに行くよりも重要な仕事ができたので、自分は仕事をするほうを選んだ」
「ジムに行くよりも、病気の子供のそばにいる方が今の自分には重要だと思ったから、そうした」と。
同じ状況でも、気分は変わりませんか?
そして実際、あなたは無力なのではなく、しっかり選択して生きているはずです。
「もうこの仕事はやめるから、今更残業しろなんて言われても、守らなくていい」と思えば、あなたはジムに行けるはずです。
でも、仕事も重要だから、そちらを選んだのです。
私には今、1歳半ほどの子供がいます。
ですから、仕事もプライベートの行動も、以前よりぐっと制限されています。
それを窮屈に感じる思いも確かにあります。
でも「子供がいるせいで、○○できない」と思っていると、よりしんどくなることが分かってきました。
それより、「今は小さい子供を優先するために、敢えて、○○というライフスタイルを選択する」と、一つ一つ思考を書き換えていったほうが、状況は変わらなくても少し楽になるように感じています。
言霊という言葉もありますが、言葉の力は侮れませんね。