先日、「伝わったものだけがコミュニケーションの成果」という記事で、意図したことが相手に伝わらないのは、自分の選んだ言葉にも原因があるかもしれないということを書きました。
そのように、人が原因だと思っていても、実は自分に原因があることは気づいてみると、たくさんあります。
以前、落ち込んだり、腹が立つのは「出来事」ではなく、自分の考え方のせいだということも書きましたが(「ストレスの原因は、出来事より「考え方」かも」参照)そこまで考えていくと、「人」に原因があることは実は驚くほど少ないということが分ったりします。
「自分のせい」「あの人のせい」どっちの思考のほうが自由か?
「すべてが自分の責任なんて、大変だ」とか、そんなのフェアじゃないという思いも湧いてくるかもしれません。
でも、よく考えれば、すべてを「自分のせい」と捉え方ができる人のほうが、人のせいにする人よりずっと自由であることが分かります。
たとえば、新人Aさんに仕事を頼み、それが思うような形で仕上がってこず、腹が立ったとします。
そのとき、問題の原因は100%Aさんの未熟さやコミュニケーション能力の低さにあり、自分はただの被害者で、「腹を立たせられている」と考えた場合、自分には、上司にAさんを他の部署にやってほしいと頼むくらいのことしかできません。
でも、50%Aさんに原因があるけれど、残り半分は自分の言い方や、自分の考え方の問題だと思えれば、半分は自分の意思でいくらでもコントロールできる問題になります。
さらに100%自分に原因があると考えれれば、自分には伝え方を変える自由も、Aさんの指導法を変える自由も、Aさんの仕事に対する自分の捉え方を変える自由も、自分の感情をコントロールする自由も手にできます。
自分のせいだと、責任を引き受ける覚悟を持つ
うまくいかないことがあったとき、人のせいにするほうが、一見、楽なように感じます。
でも長期的に考えると、人のせいにする生き方というのは、人に振り回される生き方であり、すべてを自分の責任だと引き受ける生き方は、自分の力で自分の人生を作っていくことができる生き方なのです。
嫌なことがたくさんある場合、それを引き受けるときには勇気がいりますが、一度引き受ける覚悟さえ固めれば、それからは自分の力で、人生や環境を作っていくことができます。
一度そうやって人生の主導権を握れるようになれば、もう人に振り回される生き方をしたいとは思わなくなるでしょう。
人の悪口を言いそうになったり、「○○のせいで、自分は腹が立った(悲しい気分になった)」と考えそうになったときには、一度立ち止まり、「自分は今、この出来事や感情の何%を引き受ける覚悟ができているだろうか」と考えてみてはいかがでしょうか。
[…] 昨日の「自分の責任は何パーセント?」という記事で、人のせいにせず、自分にも原因があると考えてみてはどうでしょうということを書きました。 […]
[…] ※「人のせいにするより、自分の責任だと思った方が楽な理由」も良かったら読んでくださいね。 […]