過去、4回文学賞を頂いていますが、そのなかで唯一商業誌に載せて頂いたのが、「九州さが大衆文学賞」を頂いた「履歴」という作品でした。
小説「NON」に載せて頂いたときに、題名の意味が分かりづらいということで、「水平線の灯」というタイトルに変更されていますが。
でもこの作品で伝えたかったのは、履歴書に書けるような「履歴」ばかりが重視される今の労働環境ってどうなの? ということでした。
※この作品は、「九州さが大衆文学賞」の主催:佐賀新聞社のサイトで今も読めます。選考の流れも含め。
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小説「履歴」のあらすじ
この小説のあらすじは簡単にまとめるとこんな感じです。
大学を出てからフリーターをしていた守島は、三十を過ぎてからようやく、まともに働こうと思い始めるが、正社員経験のない三十代の人間は書類選考で落とされてしまい、まともな職には就けないのだと気づく。自分は既に社会からドロップアウトしていたのだと理解した守島は、インターネットで見つけた島での生活を選ぶ。
守島たちの仕事は、体が不自由なお年寄りが暮らす施設に行き、入所者の求めることをやってあげる「何でも屋」だった。給料は安いが、使われなくなった家を無償で貸してもらえるため、まともな社会人経験も仕事に対する情熱もないが、守島は文句を言いながらもどうにか仕事を続けている。
しかし、守島が島に来て四ヶ月ほど経ったとき、自分たちの雇い主である、NPO法人のリーダー・城が姿を消す。やる気のないメンバーにいつも渇を入れ、仕事とは何かを熱く伝えていたような城が突然いなくなったことに守島たち四人は動揺する。守島はちょうど前日の夜、滅多に船など出ない時間に、船の灯りらしきものを海に見ていた。城は島から逃げたのかもしれない。信じたくないが、それしか考えらない。
城の家に行ってみるとそこはもぬけの殻だった。ただ、古い箪笥のなかから、新しいモデルのノートパソコンが見つかる。起動させると今の仕事をするうえで必要な書類やシート類がすべてそろっている。もしかしたら城がいなくても、この仕事を続けていかれるかもしれないと守島たちは考え始める。そして、城が戻ってくるまでは自分たちの力で仕事を続けようと決意する。
それから数ヶ月、小さな揉め事は複数起こしながらも、守島たちは社会人としての自覚を持ち、責任感を持って頼まれた仕事をこなすようになる。
ただ、メンバーの一人が実家に帰ったのを機に、残った三人は新しいスタッフを求人するが、そのとき守島はすでにある決意を固めていた。
守島の決意とは?
守島は、最後に気づくのです。
自分たちはリーダーがいなくなり、その「役割」を演じなくてはいけない状況になったからこそ、成長できた。
リーダーがいたままだったら、いつまでも自分を指揮する人などに文句を言い続けるだけで、本当に「働く」という意味も分からずに終わっていただろう、と。
そして、リーダー代理という役割によって、たとえ「履歴」が立派になったわけでなくても、自信を取り戻した守島は、「この役割を、次の世代に渡していこう」という決意をする、という話です。
※先にも書いたように、この小説は「佐賀新聞社のサイト」で読めますので、機会があったら、読んでみてください。最後に「え?」というどんでん返しも仕込んであります。
「役割」さえ得られないのが問題
この小説を書いたのはもう6年も前ですし、この小説の発想のきっかけになったのは、自分が今から10年以上前に経験したことでした。
私は26歳で一度会社を辞め、27歳で結婚してしばらく専業主婦をしていたのですが、やっぱりまた働きはじめたいと、塾講師のアルバイトに応募しました。
4年間、中学受験をメインにした塾で正社員として働いていたので、1年ちょっとのブランクがあっても、アルバイトなら余裕で雇ってもらえるだろうと思っていました。
でも、20代後半という年齢だけで、選考もしてくれない塾がいくつもあり、その時初めて、世の中の厳しさを痛感しました。
日本は、一度レールから降りてしまうと、もう次のチャンスはないのだ……と。
今はその頃から比べると、求人は増え、仕事を探している人にとっては、いい環境になってきていると思います。
ただずっとフリーターだった、数年間ニートだったという人に、まだまだ厳しい世の中であることは間違いありません。
でも、そういう人のなかにも、きっと役割さえ正しく与えられたら、いい働きをする人がたくさんいるのではないかと思います。
一度社会からドロップアウトして、仕事があるということのありがたさを知っている人間だからこそできる働きもあるはずです。
第1次安倍内閣が掲げていた「再チャレンジできる社会」が実現したらいいと思います。
そして、社会の自分に対する見方はどうであれ、自分が変われば、いくらでも自分からチャンスを作っていけるということも、このブログで私が伝えたいことです。